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西武・大石達也、現役生活に幕。
森慎二の教えを胸に第二の人生へ。
posted2019/11/01 11:50
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
Kyodo News
ドラフト会議が終わり、指名を受けた選手が次々と、球団と契約を交わすニュースであふれている。そんな中、2019年シーズンを最後に、ひっそりとユニホームを脱ぐ選手もいる。
2010年のドラフト会議で6球団の競合の上、ライオンズに入団した大石達也もまた、今シーズンで現役生活の幕を閉じる選手の1人だ。
10月30日から始まった秋季練習には、「ファーム・育成グループスタッフ」という新しい肩書のもと室内練習場を動き回る大石の姿があった。
前々週に終わったドラフト会議を見たかと尋ねると、大石はこう答えた。
「はい、地上波で放送している1位指名まではテレビで見ていました。ボーっとしながら見てましたね。自分のときのドラフトですか? 確か寮で大学のチームメートと盛り上がりながら見ていた覚えはあります。他人事のような感じでしたね。ワーって騒ぎながら……」
第1回選択希望は大石に6球団、そして早稲田大のチームメート・斎藤佑樹(日本ハム)に4球団が集まり、大石の交渉権は埼玉西武が獲得。福井優也は広島が1位で指名した。1つの大学から3名の投手が1位指名を受けるのはドラフト史上初の出来事だった。
「入ってからのほうが大変だった」
当然、6球団の指名が集中した大石には大きな注目が集まった。
「あのときは、そんなに多くの球団から指名していただけるとは、全く思っていなかったんですよ。本当に指名されるかどうかもわかりませんでしたから。だから放送が始まったとき、練習直後でまだお風呂に入っていて、チームメートに『始まったぞ』『早く』って呼ばれて、ダッシュでお風呂から上がってテレビの前に行きました。そうしたら、すでに2球団から指名された後で……(笑)。名前を呼ばれたあとで、急に現実が迫ってきた感覚でした」
懐かしそうに振り返った。
ドラフトについて聞くと「入ってからのほうが大変だった」と振り返った大石のプロ野球人生は、多くの怪我に悩まされ、順風満帆とはいかなかった。入団早々、故障で出遅れ一軍初登板は2年目のシーズンだった。2012年に初勝利を挙げた以降は3シーズン、勝ち星はなく、プロ生活9年間で通算5勝6敗17HPという成績で終わった。
近年は原因不明の首痛にも悩まされていた。治療法、トレーニング法などを模索しながら野球に取り組んだ。
今年のレギュラーシーズン終了後、来年は契約をしない旨を球団から伝えられる。そして、引退を決めた。