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27歳時点だとどちらがビッグ?
ネイマールとブラジルの偉人達。
text by
トマ・シモンThomas Simon
photograph byStephane Mantey/L'Equipe
posted2019/10/07 11:15
セレソンの応援で肩を落とすネイマールファン……栄光の記憶も多いはずだが、そのマイナスイメージも大きいのがネイマールである。
ガリンシャ('60年に27歳)
左右の脚の長さが10数センチ異なり、猫背で骨盤の位置も正常ではない。現役引退後はアルコール依存症にもなった。それでもそのドリブルとフェイントは悪魔のようであり、世界サッカー史上最高のウィングという評価に揺るぎはない。
ボタフォゴの白黒縦じまのユニフォームに身を包み、“小鳥のマネ”の愛称で親しまれた彼は、ブラジル国民に愛される存在でもあった。決して飼い慣らされない自然児であった彼のあるがままの姿に、誰もが親しみを感じていた。
プロの世界にあっても、彼が表現し続けたのはサッカーの喜びであり、プレーの原動力もサッカーへの愛だった。
対峙する選手をフェイントで欺きピッチに這いつくばらせ、相手が立ち上がるのを待って再び同じ動きで翻弄する。彼のドリブルを止めるにはファールを犯す以外になかった。
ブラジルが初優勝を遂げた'58年ワールドカップでは、ソビエト戦で数々のマジックを披露しペレとともにスタメンに定着し、決勝のスウェーデン戦でもまばゆいばかりの輝きを放った。
27歳になった'60年はまさに全盛期であり、本当の意味での頂点は2年後の'62年ワールドカップに訪れる。バロンドールの選考対象であったら、選ばれていたのは間違いない。
<評価:ガリンシャはネイマールを上回る>
ジーコ('80年に27歳)
フラメンゴの真の伝説であり、27歳のときに自身最初のブラジルチャンピオンのタイトルを獲得(全国選手権優勝)し、人々の心に“ガリーノ・デ・キンティーニョ”(キンティーニョ――ジーコが子供時代を過ごしたリオの街――の小さな鶏の意)の名を深く刻み込んだ。
10番としてピッチに君臨し、常にプレーの構築を考えていた彼は、そのパスのセンスと量産し続けるゴールによって輝きを放ち続けた。ただ、コパ・リベルタドーレスとインターコンチネンタルカップ(トヨタカップ)こそ制覇したものの、彼には内弁慶の印象がつきまとい、他の偉大な選手たちとの比較では、国際舞台での活躍という点で見劣りがする。
とりわけブラジル代表では、ワールドカップは'78年の3位が最高で、翌年のコパアメリカも“白いペレ”はタイトル獲得ならなかった。“黄金の4人”が世界を震撼させるのはさらに後のことであり、'82年ワールドカップ後にはヨーロッパにも渡るが、それは豊かな経歴にひとつのエピソードを加えたにすぎない。
<評価:ジーコはネイマールを下回る>