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27歳時点だとどちらがビッグ?
ネイマールとブラジルの偉人達。
text by
トマ・シモンThomas Simon
photograph byStephane Mantey/L'Equipe
posted2019/10/07 11:15
セレソンの応援で肩を落とすネイマールファン……栄光の記憶も多いはずだが、そのマイナスイメージも大きいのがネイマールである。
ロナウド('03年に27歳)
クルゼイロの時代からゴールマシンであった彼は、'94年のワールドカップ優勝メンバーではあるが、大会中は1度もピッチに立つ機会がなかった。
ヨーロッパに行ってからの活躍はセンセーショナルで、PSVでは61試合に出場し54得点。バルサでは37試合で34得点で、リーガ得点王に輝くと同時にバルサをカップウィナーズカップ優勝に導いた。
その才能はまばゆいばかりで、“フェノメナ”という呼び方はまさに彼に相応しかった。
彼の存在はフォワードの概念を覆し、インテル移籍を果たした'97年には史上最年少でブラジル人初のバロンドールを受賞。同時にUEFAカップ制覇も成し遂げた。
技術とパワーが完璧に調和している点で、ロナウドのプレーは他に比類を見なかった。ボールを足元に置いた彼はまさにサイクロンであった。
だが、フランスワールドカップ決勝の敗北とその後重なった負傷が、彼の選手人生に大きな影を落とした。
復活は'02年ワールドカップだった。ピッチのあらゆる場所に顔を出し、理想のセンターフォワードの評価をさらに高めた彼は、ブラジルに5度目のワールドカップ優勝をもたらしたのだった。大会得点王にも輝き、レアル・マドリー移籍後に2度目のバロンドールも受賞。ただ、唯一CL優勝だけは果たすことができなかった。
<評価:ロナウドはネイマールを上回る>
ロナウジーニョ('07年に27歳)
'07年夏、27歳半であったロナウジーニョは、すでに選手としてのピークを過ぎ後退期に向かっていた。
かつてのスピードはなくプレーも輝きを失い、最盛期は過ぎ去ってしまったことを見るものに感じさせた。そうなった最大の原因は、サッカー選手らしからぬ生活態度であったのは論をまたない。だが、そこに至るまでの彼は、グレミオからパリSG、バルセロナの時代を通して、その天才的なプレーと比類なきゴールの数々でまばゆいばかりの輝きを放っていたのだった。
'06年ドイツワールドカップでその素晴らしさを世界にアピールした彼は、'99年のコパ・アメリカですでに存在感を示し、'02年ワールドカップでも2得点3アシストを決めてブラジルの優勝に貢献していた。
カタルーニャでも彼の雄姿を見るために、カンプノウは試合前からファンの熱気で溢れていた。当時のバルサ会長だったサンドロ・ロセイによれば、ロナウジーニョこそは青赤の縦じまのユニフォームに身を包んだ“神”であった。その神はバルサに2度のリーガ優勝('05年、'06年)と1度のCL優勝('06年)をもたらし、自身も'05年のバロンドールに輝いた。
あるときは至極のソリスト、またあるときはオーケストラの指揮者であったロナウジーニョは、その際限のない創造力で様々なフェイントやドリブル、他に類のないプレーの数々を生み出して、誰も近づきえない存在であったのは間違いない。
<評価:ロナウジーニョはネイマールを上回る>