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「やっぱり甲子園には行きたかった」東海大相模・菅野智之が振り返る神奈川大会決勝“キツくて死にそうだった169球”
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKiichi Matsumoto
posted2021/08/12 11:04
東海大相模のエースとして活躍するも、甲子園出場はかなわなかった現巨人の菅野智之。甲子園への特別な思いを振り返る
「高校野球はやりたくないけど、甲子園には行きたい」
東海大相模の3年間で、結果的に菅野は春、夏いずれの甲子園大会にも出場することはできていない。それでもプロの世界に飛び込み、いまや日本のエースとなり、球界最高年俸を稼ぎ出す選手となった。
甲子園に出られなくても、こんな道もある。そういう世界観の象徴になれる選手ではないか、と問うと、かぶりを振った。
「でも、やっぱり甲子園大会には行きたかったです。生まれ変わったら何がしたいかといえば、高校野球はやりたくないけど、甲子園には行きたい。それくらい甲子園は違います。プロに入った1年目に甲子園球場のマウンドに立ったとき、すごく感動したのを覚えています。『ああ、ここに高校時代に立てていたら、また世界観も変わったんだろうな』とすごく思いました」
同学年には大阪桐蔭出身の日本ハム・中田翔内野手や広陵出身の広島・野村祐輔投手ら甲子園で活躍した選手たちがいる。
「甲子園での彼らを見て羨ましく思いました。ただ相模が勝てなかっただけで、当時もそういう選手たちと個人的な勝負をしたら、そんなに遜色はないなとは思っていました。とにかく高校時代の絆というか、メチャメチャしんどかったからこそチームメイトとみんなで一緒に行きたかったというのがありました。でもそういう思いを差っ引いても、最後は勝ち負けじゃなくなっていました。それぐらいキツかった」
「勝つことだけが全てではない」
東海大相模で本気で高校野球をやった。3年間、夢中で甲子園の夢を追い続けた。ところが最後の最後にその夢すらも見失ってしまったからこそ、菅野には逆に訴えねばならないことがある。
「17、18歳くらいは、まだ絶対に未熟だし、そこまで考える力は持ってないと思います。勝つことだけが全てではない。県大会で優勝して甲子園に出て、そこでまた優勝することだけが高校野球じゃない。指導者や周囲がそう考えれば、もっともっと戦い方も変わってくる。一番手っとり早いのはルールとして、球数制限を作ること。試合のスケジュールもそうですし、燃え尽きないための普段からの導き方、コーチングが指導者の大人たちに求められるところなのかなと思いますね」
「振り逃げ3ラン」があった2007年の準決勝。そのとき横浜の三塁を守っていたのが、勝利至上主義ではなく子供たちが成長できる野球環境作りを提唱している、DeNAの筒香嘉智外野手だった。
「筒香が色々と発信している。僕もできることは協力するって伝えました」
それもまた「相模の野球」から得た菅野の結論だった。
菅野智之Tomoyuki Sugano
1989年10月11日、神奈川県出身 投手 186cm/95kg
[出身校]
東海大相模(神奈川県)
[高校時代の戦績]
・3年夏の神奈川県大会決勝で桐光学園に敗れる
[経歴]
・東海大相模高校→東海大学
・2012年ドラフト1位
・読売ジャイアンツ 2013-
[プロ入り後の主な戦績]
・セ・リーグ最優秀防御率 2014、2016-2018
・セ・リーグ最多奪三振 2016、2018
・セ・リーグ ゴールデングラブ賞 2016-2018
・セ・リーグ最多勝利 2017-2018
・沢村栄治賞 2017-2018