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「浦和の特別」であり続けた10年。
山田直輝の忘れられない”あの日“。 

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轡田哲朗

轡田哲朗Tetsuro Kutsuwada

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photograph byGetty Images

posted2019/07/28 08:00

「浦和の特別」であり続けた10年。山田直輝の忘れられない”あの日“。<Number Web> photograph by Getty Images

浦和レッズの象徴の1人だった山田直輝。29歳、再び湘南ベルマーレのユニフォームを身にまとう。

3シーズンにも及んだ「期限付き」。

 山田がレギュラーをつかんで、その座を維持できるような結果を残し続けられたのかも分からない。しかし、何でもないような1日がこんなに大きく影響を与えるのかと、プロサッカー選手として過ごす日々がいかに厳しいものであるのかを感じざるを得なかった。

 結局、この年の公式戦出場はわずかに5試合だった。

 だから、'15年に湘南への期限付き移籍が発表された時は、納得感があった。それと同時に、文字通り「期限付き」であることにも疑いは感じられず、湘南でキャリアのリズムを取り戻して浦和に戻る未来を予想するのはそれほど難しくなかった。

 しかし、その「期限付き」は3シーズンにも及んだ。その最終年の途中、当時の浦和・山道守彦強化本部長は「3年も期限付きというのは、すごく異例なこと」とも話した。だが、それはある意味で、浦和というクラブと彼の間に少し特別なものがあることを感じさせたとも言える。

2018年、主力組の時期もあったが。

 2018年、浦和へ復帰。この年は4月初旬に監督交代が起きる激動のシーズンだった。現在チームを率いる大槻毅監督が暫定監督に就任した初戦、ルヴァン杯のサンフレッチェ広島戦で山田はキャプテンマークを託された。

 その後、オズワルド・オリヴェイラ監督が正式に就任。コンスタントに出場機会を重ねたとは言えないが、ロシア・ワールドカップに伴う中断期間に行われたキャンプでは、主力組に組み入れられていた。

 しかし、そこで山田は再び戦列を離れてしまう。6月下旬に右腓骨骨折と手術が発表され、全治は4カ月。結局、彼のシーズンはここで終わった。

 チームは天皇杯を制し、形の上で山田は小中高に加えトップカテゴリーでも浦和で日本一を獲得したとは言える。

 2回戦のY.S.C.C横浜戦では得点もしているから、全く貢献がなかったわけではない。しかし、それが多くの期待に応えるようなタイトル獲得の仕方でなかったのは事実だろう。

 だから年が明け、沖縄県でのトレーニングキャンプの時に「今年は自分の力が優勝につながったというタイトルを取りたい」という意気込みを口にしていた。それとは裏腹に、オリヴェイラ監督にとってのチームは前年のタイトルもあり、かなり固まっていた。

【次ページ】 2度目の期限付き、違う空気感。

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