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新日本MSG大会に現地ファン総立ち。
オカダの姿がホーガンとダブった!
posted2019/04/09 17:30
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
NEW JAPAN PRO-WRESTLING
プロレス史において、歴史的な1日となったと言っていいだろう。
現地時間の4月6日、アメリカ・ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン(MSG)で、新日本プロレスがアメリカの団体ROHとの合同興行「G1 SUPERCARD」を開催。1万6534人(超満員札止め)の観衆を集め大成功を収めた。
今大会のチケットは昨年8月に発売開始後、即完売。試合前から超満員は約束されていたが、実際に広いMSGのスタンド最後列まで観客が埋め尽くした光景はじつに壮観。そして、その大観衆が、新日本プロレスの試合に熱狂する姿は、感動的ですらあった。
世界的なスポーツとエンターテインメントの殿堂であるMSGで、日本のプロレス団体が興行を主催するのは、今回が初めて。その事の重大さは、キャリアの長い新日本プロレスファンほど、強く感じていることだろう。
プロレス界においてMSGと言えば、世界最大の団体WWEが現在のビンス・マクマホン会長の祖父の時代である1925年から本拠地としていたことで知られ、1970年代から80年代の“アントニオ猪木時代”の新日本プロレスにとっても、特別な場所であったからだ。
MSGは憧れの殿堂。
新日本プロレスは'75年に現在のWWE(当時WWWF)と業務提携を結び、同年の12月15日、猪木がMSGに初登場。その後、'78年1月に藤波辰爾がMSGで、カルロス・ホセ・エストラーダを破りWWWFジュニアヘビー級王座を獲得。ジュニアヘビー級ブームを巻き起こすことできっかけを作り、さらに'82年8月には人気絶頂だった初代タイガーマスクがMSGに登場。
ライバル、ダイナマイト・キッドと名勝負を展開し、MSGでスタンディングオベーションが起こった一戦は、いまも語り草となっている。
また、現在のG1クライマックスにあたるシングルの総当たりリーグ戦も、'78~'82年はニューヨーク地区の大物が参戦するという意味合いから「MSGシリーズ」の名称で開催。タッグリーグも「MSGタッグリーグ戦」の名称が使われた。
MSGとは、猪木時代を知るファンにとっても世界の檜舞台であり、憧れの殿堂なのである。