JリーグPRESSBACK NUMBER
久保建英が1つ突き抜けたきっかけ。
「俺が俺が、ではなくコンセプト」
posted2019/03/25 08:00
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph by
J.LEAGUE
久保建英が描く17歳の地図は、間もなく最終段階に突入する。
6月4日が誕生日。その日をU-20ワールドカップが開催されているポーランドで迎える可能性が高い(5月23日開幕、6月15日決勝)。ちょうど決勝トーナメント1回戦が行われている時である。20歳以下の世界一を決める闘いの地で、18歳の地図の1ページ目を記すことになるか。
「バルセロナ」「カンテラ」出身といった枕詞がついて、話題の先行しがちだった久保だが、特にこの半年間、この男はやはり別格だ、というインパクトをピッチ上のプレーで残してきた。
実際、久保本人も、新たな境地に達したことを実感しているというニュアンスの言葉を口にしている。いや、新境地とはやや大げさで、大切なことに気付けた、と表現すべきかもしれない。
U-19選手権で周囲がサポート。
FC東京(U-23チームも含めて)ではJ3とルヴァンカップを経験し、昨季は約半年間期限付き移籍した横浜F・マリノス、さらにインドネシアでのU-19アジア選手権、そして今シーズン、レンタル復帰したFC東京でのこれまで。そのプレーを見てきた地点を結んでいくと、確かに今、1つ突き抜けた感じを受ける。
昨年のU-19アジア選手権では、鮮烈な直接フリーキックを叩き込み、敵陣を完全に切り崩してのアシストを記録。アジアの同世代(エントリーしている選手は19歳が中心なので、久保は年代的にさらに1つ下のカテゴリーにあたるが)の中で、頭一つ抜けた存在だった。
ただ忘れてならないのは、久保が躍動できた背景に、周囲のサポートがあったことだ。
18、19歳の“お兄さん”たちは久保だけでなく、年齢的に下の宮代大聖(川崎)、斉藤光毅(横浜FC)といった、高校卒業前にユースから昇格してプロ契約を結んだ選手たちにも、できるだけ自由に思い切ったプレーができるように配慮していた。