“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER

無敵のサイドバックへ着実に成長中!
FC東京・室屋成、骨太なサッカー道。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

PROFILE

photograph byTakahito Ando

posted2019/03/08 08:00

無敵のサイドバックへ着実に成長中!FC東京・室屋成、骨太なサッカー道。<Number Web> photograph by Takahito Ando

プロ入り直後、中足骨骨折という重傷を負ったが、復帰後は以前より果敢にプレーし一気に成長。故障に負けない、強いイメージまでも得た。

なぜ大学3年でプロになれたのか?

 眼の前の現実と将来を見据えての、決断。

 そこには自分であれば絶対に周りに流されず、サッカーに真摯に取り組みながらも、大学でいろんなジャンルの人間と話すことで、あらゆる刺激を受けることが可能だ、という自信もあっただろう。

 結局、大学1年時から出場機会を掴むと、2年時にはチーム不動の存在にまでなり、3年時にはU-22日本代表としてクラブでプレーする同年代のプロ選手たちと共に活躍するまでになった。そして、そのままFC東京の特別指定選手となり、3年時に早くもプロ契約選手としてFC東京入りが決まったのだった。

 スポーツ推薦であった室屋が、大学の残り1年を待たずしてサッカー部を退部してプロになれた理由は、リオデジャネイロ五輪の出場候補選手であったことに加え、3年時で全ての単位を取得して卒業条件を満たしていたという、本人の学業における努力にもあった。

「中退は考えていませんでした。入学当初から3年間で単位を全て取れば、4年生の時に特別指定でプロに行って試合出場を目指せると思っていましたから。

 もし仮に単位を残していたら、俺を早く取りたいというクラブが出た時に、特別指定にしても『大学の授業があるので行けません』となったら、チャンスを逃してしまうじゃないですか。

 それに僕が中退したら、青森山田の後輩にも迷惑をかける。そこまで考えました。3年まで公欠以外は全ての授業に出ましたし、3年までに全て取りきるという目標を設定しました」

「俺ってどれだけ世間知らずなんだろう」

 有言実行。

 いや、実現するために常に自分の状況と周りの状況、そして将来の道筋をしっかり見極めながら前進する――彼は大学で見事に文武両道を成し遂げ、サッカーに限らない広い知見と、サッカーに対するより冷静な視点を得たのだ。

「本当に大学に行ってよかったと思っています。1年時はサッカー以外にも部の仕事をやったり、身の回りのことなど本当に多くのことを自分でやる必要があった。そこで『反骨心』を持ちながら、『絶対にプロで活躍する』という思いが強くなったし、大学構内では全くサッカーを知らない人たちと多く接して、いろんな考え方、世界があるんだなと知ることができた。

 それが特にプラスに出たのが、『人との接し方』ですよね。

 自分で自分が置かれている状況をどうにかしようと考えるようになったし、いろんなことに対して、まずは自分の頭で一度考えて、自分という存在をどうやって受け入れてもらえるか、どうやって自分の思考、個性を知ってもらえるかとか、より客観的視点を入れながら考えて行動するようになりました。

 本当にサッカーだけやっていたら出会う機会が少ないような人たちとたくさん接することができて、『俺ってどれだけ世間知らずなんだろう』と思う事もあった。視点は広がりました」

【次ページ】 「それでもプロになりたい自分がいた」

BACK 1 2 3 4 5 NEXT
室屋成
FC東京
青森山田高校
明治大学

Jリーグの前後の記事

ページトップ