サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
新キャプテン・吉田麻也の存在感。
「僕は長谷部誠にはなれない」
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO
posted2019/01/21 11:20
大会前の公式会見で森保一監督とともに登壇した吉田。司会からの英語の質問に流暢な英語で答えた。
代表のキャプテンには思い入れがある。
主将が巻く腕章の重みを、しかと受け止めてきた選手である。初めて日本代表でキャプテンマークを巻いたのは'17年3月23日。ロシアW杯アジア最終予選のUAE戦だった。アル・アインのハッザ・ビン・ザイードスタジアムで行われた一戦は、当時の主将である長谷部誠がひざ痛で離脱したことにより、吉田がキャプテンマークを巻いた。
引き分け以上ならグループ2位キープだが、負ければ4位に転落するという大一番であり、しかも相手のUAEは'16年9月にホームの埼玉スタジアムで行われた最終予選初戦でまさかの敗戦を喫したライバルだった。
追い詰められた状況で重要な役割を任された吉田は、久保裕也と今野泰幸が挙げた得点をクリーンシートで守り切り、日本は2-0でW杯出場権獲得圏内である2位を守った。
試合後、吉田は「所属チームでも何回か巻いたことがあるが、代表のキャプテンになるのは大きなこと。いつも以上にプレッシャーを感じた」と素直に言った。
さらに、自身のブログでは3月23日が特別な日であることを明かした。吉田は'01年のこの日、生まれ故郷の長崎を離れ、名古屋グランパスの育成組織に入るべく、愛知県に向かったことを振り返り、ブログにこう記した。
「当時の僕と同じ夢を持った子供たちの憧れになれるよう、そして腕章を巻いてプレーすることの責任と誇りをもって挑んだ」
感無量の思いが文面から伝わってきた。
「僕は長谷部誠にはなれない」
そして、それから1年3カ月後。吉田はチームを束ねる役目に対するひとかたならぬ決意を、涙に溶け込ませた。それはロシアW杯で日本がベルギーに逆転負けし、敗退が決まった'18年7月3日のことだった。ベースキャンプ地であるカザンの取材エリアで、長谷部が代表引退を表明したことについて聞かれると、吉田は1分間以上言葉を詰まらせ、ついには号泣しながら、こう言った。
「7年半、彼と一緒にやってきましたが、あれだけチームのことを考えてプレーできる選手は少ない。僕はどうあがいても長谷部誠にはなれない。自分のスタイルで代表を引っ張っていかないといけない」