松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
「全てがうまくいかなかった」頃から、
パラ卓球・吉田信一を支え続けた人。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2018/12/16 08:00
パラリンピック競技は一般的に馴染みのないジャンルが多いが、体当たり取材でその本質を伝えたい。
「リオの後すぐ『東京もやるぞ』」
松岡「気持ちの面でも向かっていけるし」
吉田「はい。でも10対8とか、あと1点で勝てるというときにミスをしたんです。3ゲームともそう。そのちぐはぐさ、気持ちの弱さ、全部デュースからひっくり返されてしまった。
そこで自分は守りに入ったんでしょうね。プレッシャーが一気に来た。
結局、その負けを引きずって、続くドイツの選手との対戦でも立ち直ることができなかった。その相手には以前、勝ったこともあったのに。
だからあれは、相手に負けたというよりも自分の愚かさに負けたんだと思ってます。
だから、リオが終わってすぐ、『東京もやるぞ』と思えました。
コーチは『何言ってんの?』って感じだったでしょうけど」
小川「そうなんです。もともと吉田さんから『リオで終わりにする』と聞いていたので。それも、現役続行を、直接吉田さんから聞いたんじゃなくて、イベントか何かで言ったのを聞いたんです。『東京までやります』って。それがショックでしたね」
松岡「わかってないなあ……。なんで本人にまず告げないんですか!」
吉田「いやあ(照れ笑い)」
小川「なんとなくわかってはいましたけどね。パラの試合映像はなかなか映してくれないので、他のコートを映している映像をインターネットで探して、その後ろで彼が試合しているのが見えたんですけど、その表情が『ここでは終わりたくない』って顔をしていたんです」
松岡「吉田さん! そんなに一所懸命、小さな映像を探してくれる人がいますか。しかも、ちょっとした仕草で心まで読み取ってくれるなんて」
吉田「いやいや(照れ笑いが続く)」
松岡「でも、ある種、羨ましいです。僕はアスリートでやってきて、30歳で引退を余儀なくされた。吉田さんは52歳(取材時年齢)で、まだ世界一を目指すことができる。
シニアの試合じゃない。本当の世界一を目指せるんです。冗談抜きで、50歳を超えて、本当の意味で戦える舞台があるって、すごいことだと思います」
吉田「大変な道のりですけどね」
松岡「コーチも、現役続行にOKサインを出したんですね」
小川「2020年が本当に最後のチャレンジだと思いますし、最後は『やりきった』と思ってほしい。きっとリオでは準備不足もあっただろうし、さっき自分でも言っていたように、『ただ参加しただけの人』で終わるのはイヤだと思うので。最後は私が『まだ続けよう』と言って、彼が『辞めたい』と言うくらいの方が終わり方としては良いのかなと思います。
松岡「感謝してくださいよ、吉田さん」
小川「でも松岡さん、私もいろいろなことを吉田さんからいただいているんです。そこは感謝してるんです。
国際大会に出かけていくと、自分の世界もすごく開けていく。一緒にやっていなかったら、私はすごく小さな視点でしか障害者スポーツや障害がある人を認識できなかったかもしれません」
リオの敗北を経て、いざ東京へ――。
吉田さんと小川さんの二人三脚は、吉田さんにとって、そして小川さんにとっても、大きな成長の場だった。私たちは、身近にいる障害者とどのような関わりを持っていけばいいのか。障害者だから、健常者だから、といった立場や属性、「助ける」、「助けてもらう」といった画一的な役割を超えて、互いが互いの人生を豊かにしていく、よりフラットでWINWINな関係を、2人は体現しているのかもしれない。
(第4回につづく)
(構成:小堀隆司)