松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
「全てがうまくいかなかった」頃から、
パラ卓球・吉田信一を支え続けた人。
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2018/12/16 08:00
パラリンピック競技は一般的に馴染みのないジャンルが多いが、体当たり取材でその本質を伝えたい。
「残る試合をとにかく頑張って」と。
吉田「最終的にリオの出場権を得るためには、2015年の年末時点の世界ランキングで21位以内に入ることが条件だったんですけど、私はその年の10月ごろは20位前後で当落線上でした。11月のチェコの国際試合と、ベルギーの国際試合に出場してメダルを獲ったけど、そこでは出場を決めきることができなくて……。そこで12月に最終戦があるコスタリカまで足を運びました」
松岡「絶対に負けられない戦いですね」
吉田「でも、その予選リーグで、自分よりランキングが下の選手に負けてしまったんです。ポイントがガクンと下がってしまって、一旦はリオを諦めかけたんです。でも何とか予選リーグを1位で勝ち抜いて、決勝で世界ランキング5位のスウェーデン選手とやることになりました。
彼に勝てば、ポイントがグンと上がる。そこでフルセットの末に、勝ちきったんです。でもまだその時点で21位以内は確定していなかったから、その後の団体戦に出場して、そこでもすべて勝つことができた。終わってみたら、ランクが15位まで上がっていて、初めてのパラリンピック出場が決まりました」
松岡「15位まで! 小川コーチはそのとき、現地にいたんですか」
小川「いえ、私は日本にいたんですが、予選で格下の選手に負けたときに、メールだったか、LINEだったかで連絡が来て、『リオはもうない』と。でも、私はまだ終わってない、と思ってました。崖っぷちじゃないですけど、この人は最後で踏ん張る人ですから。『残る試合をとにかく頑張って』と伝えました」
松岡「いや~、ヒヤヒヤさせないで下さいよ、吉田さん」
吉田「その時は申し訳ない気持ちがありました。練習に付き合ってもらって、時間をいただいていたわけだから。
大会が近づいてきたときも、『不安があるなら相手するよ』って、声をかけてくれる。自分が不安に思っていることを読み取っているからこそ出てくる言葉ですよね。ありがたかったです。
きっと、あの負けがあったからこそ世界の5位に勝てたんでしょうね。今でもたまにその時の試合をビデオで見返すんですけど、ちょっと涙が出るくらい。本当に自分が勝って嬉しかったのは、あの試合が初めてです」
松岡「コーチも嬉しかった」
小川「いつもは試合で勝っても『ああ』という、反応の薄い感じなんですけど、あの試合は違いましたね。必死さが伝わってきました」
吉田「本当に大変だったんですよ。必死でひとつのポイントを取りにいきました。あんな試合、多分二度とできないと思うくらい」