松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER

「全てがうまくいかなかった」頃から、
パラ卓球・吉田信一を支え続けた人。

posted2018/12/16 08:00

 
「全てがうまくいかなかった」頃から、パラ卓球・吉田信一を支え続けた人。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

パラリンピック競技は一般的に馴染みのないジャンルが多いが、体当たり取材でその本質を伝えたい。

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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Yuki Suenaga

 松岡修造が、パラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラアスリート一直線!」。車椅子卓球の吉田信一さんは、8年連続(通算14回)で日本一となり、リオパラリンピックにも出場したこの種目の第一人者だが、その競技人生も山あり谷あり。浮上のきっかけは、現在のコーチである小川真由美さんに声をかけたこと、だった。

松岡「小川真由美コーチとの二人三脚は、いつから始まったのですか」

吉田「リクルート系の職場から、現在の職場である国立研究開発法人情報通信研究機構へと移る間の、1年のプータロー時代に始まりました。

 平日にセンター(多摩障害者スポーツセンター)に行っても選手はたいてい働いているから、職員と練習するしかない。そこに彼女がいました」

松岡「プータローの身で、『車椅子に座って、相手をしてほしい。上手くなって下さい』と言ったんですよね。よく言えたなあ。小川さん、驚いたでしょう?」

小川「驚きましたよ(笑)」

松岡「小川さんは、その頃の吉田さんをどう見ていたんですか?」

小川「センターに来て練習しているのをずっと見ていて、この人は、やりたいことと環境と、すべてがうまく回らない、うまくいかない人なのだな、と感じていました」

吉田「(苦笑)」

小川「ものすごくやる気があって、でも練習に打ち込んでいたら褥瘡(じょくそう/床ずれの一種)になって入院したり。『なんでこの人はこんなにうまくいかないんだろう』と」

松岡「ひどいこと言われてますよ」

吉田「そういう星のもとに生まれたんです、私は(笑)」

小川「でも、褥瘡が癒えて、久しぶりにセンターに来たとき、あんなに『小川さんは下手だから打ちたくない』と言っていた私に、『打ってくれませんか』って、声をかけてくれたんです。その時、心が動かされたというか。

 私が車椅子に乗って練習相手をすれば、彼は一歩先へ歩み出せるんじゃないか。環境が良くなれば、もっと先が見えるんじゃないか。そう思いました」

吉田信一(よしだしんいち)

1965年12月13日福島県生まれ。高校時代にバイク事故で車椅子生活となる。1994年に車椅子卓球を始め、6年後に上京、これまで車椅子卓球のクラス3で通算14度の日本一に輝く(現在8連覇中)。2016年リオ・パラリンピックに出場。2020東京パラリンピックへの出場を目指し、日々練習に励んでいる。NICT(国立研究開発法人情報通信研究機構)勤務。

松岡「吉田さん、小川さんに声をかけたときのことは、覚えてますか」

吉田「覚えてますよ。きっと、自分の必死さが伝わったんでしょうね。というのも、褥瘡で入院したら、その時にC型肝炎にも罹っていると言われて。その治療もあって1年間練習がうまく行かない時があったんです。それも彼女は知っていたから」

松岡「C型肝炎? どういうことですか?」

【次ページ】 「とにかく『うまくかない』人」

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