Jをめぐる冒険BACK NUMBER
平山相太が今思う、本田圭佑との差。
「絶対負けないという芯の強さ」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byShigeki Yamamoto
posted2018/11/30 11:30
FC東京のエキシビションマッチで笑顔の平山相太。またJリーグの舞台で、彼の雄姿が見たい。
夢への強い想いがブレた。
ところが、平山は、さらりと否定してみせた。
「全然なかったですね」
現役でいる限り、日本代表を目指す――。
三浦知良をはじめ、多くのサッカー選手が胸に秘めている想いが、平山にはほとんどなかった。
「'10年の南アフリカ大会の前に代表に選ばれたときは、ワールドカップに出たい、ってちょっと思いましたけど。それ以降はほぼなくなりましたかね」
少し遠い目をして、平山が言葉を続ける。
「小さい頃に、日本代表になりたい、ワールドカップに出たい、という夢を持ってサッカーを始めたんですけど、年齢を重ねるにつれて薄れていったというか。
自分は中学2年の冬までトレセンに入ったこともないし、高校3年まで代表に入ったこともなかった。活躍したのは高校3年の選手権だけなので、夢への強い想いがブレてしまって……。性格の問題でもあると思うんですけど、自分の弱さでもあるし、そこは反省点です」
変わらない本田の芯の強さ。
一方、本田はどうだったか。
平山が絶対的なエースとして出場した'05年ワールドユース・オランダ大会。本田は初戦のオランダ戦でボランチとして先発したが、後半に交代を命じられ、それ以降、出番がなかった。
「でも、それでも自分のやることは変わらないというか、絶対に負けないというのは伝わってきた。それが本田の強さかな。正直、本田がこれほどの選手になるとは思わなかったですけど、芯の強さは昔からあったと思います」
それは、FC東京でチームメイトだった長友や武藤嘉紀にも共通するものだという。
「長友も武藤も、大学に行ってからプロになった。
そのとき、何年後に日本代表になる、ワールドカップに出る、海外に行くっていう目標を設定して、そこから逆算して努力をしていたと思います。自分も筑波大に進んだあと、もっとサッカーがうまくなりたいと思ってオランダに行った。でも、そこまでしか見えていなかったというか……」
確かに平山はかつて、超高校級と騒がれながら大学進学を選んだことに関して「10代でプロになって活躍できるなんて思えなかった」と語っていた。