Jをめぐる冒険BACK NUMBER
平山相太が今思う、本田圭佑との差。
「絶対負けないという芯の強さ」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byShigeki Yamamoto
posted2018/11/30 11:30
FC東京のエキシビションマッチで笑顔の平山相太。またJリーグの舞台で、彼の雄姿が見たい。
相次ぐケガにも恨み節はなく。
'06年に帰国したあと、しばらく低空飛行を続けたことについてはこう分析していた。
「ワールドユースも五輪も、小、中、高とサッカーをしてきた延長という感じで、他の選手に比べてプロ意識や自覚が足りなかったと思います。オランダに行ったら、今度はプロとは何かを学ぶ前に、周りについていくのが精いっぱい。で、日本に帰ってきて、ホッとしたというか。身体もプレーも全然ダメになってしまった」
だが、'09年に気持ちを入れ替えた平山は'10年、FC東京に加入後初めてシーズンを通してピッチに立ち、7ゴールをマークする。
ところが、翌年からケガに見舞われ続けることになるのだ。
「最初にケガをしたときは初めてのリハビリだったし、かなり荒れました。でも、骨折なので、休めば治る。翌年、同じ箇所を骨折したときは、もう達観していましたね。痛いんですけど、もう1回リハビリだなって」
'14年、試合中にタックルを浴びて骨折したことに関しても、恨み節は一切なかった。
「接触の多いスポーツだし、それもサッカーの一部というか。ケガをするのも自分の人生。それを受け入れられるようになりましたね」
家族にサッカーしている姿を。
キャリア晩年の平山を支えたのは、もう一度日本代表に選ばれたいという想いではなく、家族にサッカーをしている姿を見せたい、という想いだった。
「家族もできて、子どもも生まれて、子どもの記憶に残るまでサッカーがしたいなって。
だから毎年、絵馬に『怪我なく』って書いていました。
3歳の下の子は残念ながら僕がサッカー選手だったことを知らないんですけど、6歳の上の子は、僕がサッカー選手だったことも、辞めたことも理解しています」
そう言えば、と平山の顔がパッと明るくなった。
「去年、嬉しいことがあって、上の子がお医者さんになりたいって言い出したんです。『どうして?』って聞いたら、『パパの足を治してあげたい』って。お前、なんてこと言うんだ。そんな風に見てたのかって」
そう言うと、「でも、今はもう、『仮面ライダーになりたい』と言ってるんですけどね」と、すっかり父親の顔をして、平山は笑った。