サッカー日本代表「キャップ1」の男たちBACK NUMBER
「あの時の梅崎司」へ、もう一度!
再び代表入りなら今度こそ仕掛ける。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph by“Eijinho”Yoshizaki
posted2018/11/20 17:00
湘南ベルマーレに移籍して1年目にしてルヴァンカップで戴冠した梅崎司。怪我も癒え、活躍するのはこれからだ!
「仕掛けてもよかったかな……」
一度だけ、ボールタッチの機会が訪れた。
左サイドでボールを受けて……突破するふりをして、バックパスをした。
「今思えば、仕掛けてもよかったかな……とも思いますが、試合の展開を考えて、勝つために安全第一を選んだ。ボールを奪われないことを考えて、そうしたと思います」
10代での日本代表デビューは1998年の小野伸二、市川大祐以来だった。日本代表キャップ1を刻んでどんな気持ちになったのか。
「もっと試合に出たい。意欲が増した、というところです。オシムさんの考えを吸収したいという思いが強くなりましたね」
レッズでは年齢に応じたプレーを、と。
しかし、その時のまま、梅崎の日本代表での記録は止まっている。
代表デビューからわずか4カ月後、'07年1月に19歳でフランスのグルノーブルに移籍した。
「準備が出来ないままに行ってしまったんです。一人暮らしもしたことがないままに違う言語、違うピッチの質、違うスタイルの場所に行って。短い期間で結果を出さないといけないなかで、自分のスタイルが通用しなかった。
日本代表まで登り詰めた、という感覚もあったんですが、自信を失ってしまったというところはありますね。今、思えばですけど」
かの地では5カ月で5試合しか出場機会が得られなかった。
帰国後、半年間大分でのプレーを経て、ビッグクラブ浦和レッズへの移籍を決めた。'09年から'11年までは負傷もあり、年間10試合程度にしか出場できない時期も経験した。10年間の在籍期間のうち、最後の2年間はリーグ戦では途中出場が続いていた。
「自分をどんどん変えていこうと思ったんですよ。あえて、代表に入った頃の自分とは決別しようとすら考えていた。仕掛けるだけじゃダメだ。あの時とは身体も違う。だから11人のなかでバランスも取っていこう、周囲も使っていこう、年齡に応じた落ち着いたプレーもやっていこう、といったように。必要な変化だったと思っています。それが悪かったとは全く思いません。なぜなら年齡を経て、学んでいったということですから」