球道雑記BACK NUMBER
悪夢のドラフト指名漏れから2年。
日本ハム3位・生田目翼と武田久。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byKyodo News
posted2018/11/13 08:00
日本ハムは1位の吉田輝星ら、高校生を多く指名。社会人の指名は生田目だけと、即戦力としての期待は高い。
大学でドラフト候補となるが。
「生田目翼」の名前が全国的に広まったのは今から3年前の2015年6月、全日本大学選手権が最初だろう。
当時、生田目は流通経済大学の3年生だった。
2回戦の城西国際大学戦で最速151キロを計測すると、準決勝の神奈川大学戦でも2安打1四球で完封勝利を挙げるなど同大学の準優勝に貢献。あるマスコミから来年のドラフト有力候補と報じられた。
しかし、大学3年の秋に右肘を故障すると、完治を急いだ4年春には右肩を痛めて不遇な時を過ごす。
その秋には東京新大学野球連盟で共にしのぎを削った創価大・田中正義が5球団競合の末、福岡ソフトバンクに1位指名、池田隆英が東北楽天から2位指名を受ける一方で、自身はまさかの指名漏れとなり、やり切れない思いだけが残った。
恩師が振り返る当時のこと。
彼の恩師である流通経済大学・中道守監督は当時についてこう振り返る。
「4年生のときは実績がなかった。それでもなんとかなるかなってところもあったんですけどね。そこは本人に割り切ってもらって、下位指名だったらしょうがないだろうし、『僕は3年のとき頑張ったから』って世界でもないと思うのでね。落胆もしていましたけど、本人の頭を整理しながら前向きにとらえるように考えました」
同時に、中道は生田目についてこうも考えた。
「慌ててプロに行って怪我をするくらいだったら、ちゃんと怪我を完治させて、心身ともに鍛えてからでも遅くないじゃないかって」
その日から、彼の再起への道が始まった。
実は指名漏れした2016年、生田目には乗り越えねばならない大きな課題が残されていた。
ひとつは故障の原因にもなった投球フォームの修正である。日本通運の藪監督はそのことについてこう説明する。
「彼は肩甲骨の可動域が他より柔らかいんですけど、それが入り過ぎることで肩や肘に負担がかかっていた部分があったんです。簡単に言えば以前は力任せで投げていたわけですが、それを変える練習を大学4年の後半からやってきました。
うち(日本通運)に来た当初もまだ不安があったので『1年目は投げなくていいから』『自分のペースでやればいいから』と、黒澤淳一ピッチングコーチと共に意識をしながら、夏前までフォーム作りをしていました」