サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
北京五輪の落選ショックから10年。
青山敏弘が森保Jで巻いた赤い腕章。
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph byGetty Images
posted2018/09/14 10:30
ロングパスで最終ライン裏を狙い、守備でも冷静な対応。本人としては納得できない部分もあっただろうが、青山敏弘らしさは随所に見えた。
ブラジルW杯メンバー入りも……。
2013年、27歳の時に遅まきながら日本代表デビューを果たすも、国内組で臨んだ東アジアカップのメンバーであり、“真の日本代表”とは認識されなかった。それでもそこでのパフォーマンスが当時のアルベルト・ザッケローニ監督に認められ、2014年のブラジルW杯メンバーに滑り込んだ。
しかし、代表ではほとんど一緒にプレーしたことのないメンバーばかりのチームに青山の居場所はなく、コロンビア戦に出場したものの、世界との差を見せつけられるだけの結果に終わった。
青山にもスポットライトが当たるチャンスがなかったわけではない。2015年3月のウズベキスタン戦で豪快なミドルを突き刺し、代表初ゴールをマーク。この得点だけでなく、鋭い縦パスで多くの好機を演出し、就任したばかりのヴァイッド・ハリルホジッチ監督の「縦に速いサッカー」というコンセプトを見事に体現した。
この好パフォーマンスから、代表の主軸となると見込まれたが、なぜかその後、青山が代表に招集されることはなかった。
ロシアW杯落選後のメッセージ。
さらに不運は続く。西野朗監督の初陣のメンバーに招集され、ロシアW杯出場のチャンスが巡ってきたが、直前合宿で負傷が判明し、アピールすることすらできずに日本代表を離脱している。
年齢を考えれば、ロシア大会が青山にとっての最後のW杯となると思われた。そのチャンスを不慮の事態で逃したのだから、ショックは相当だろう。ブラジル大会のリベンジを期していただけに、なおさらだ。これまでに大きな怪我に何度も見舞われ、悔しい思いを繰り返し味わってきた選手である。
そんな男にまたしても訪れた悲劇。筆者は代表離脱の報を聞いたとき、いてもたってもいられず、青山にメッセージを送った。すると気丈な言葉が返ってきた。
「お気遣いありがとうございます。期待にそえず悔しいですが、またJリーグで頑張ります!!」