サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
北京五輪の落選ショックから10年。
青山敏弘が森保Jで巻いた赤い腕章。
posted2018/09/14 10:30
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph by
Getty Images
開口一番、青山敏弘は「なにもできなかったね」と試合を振り返った。しかし、ネガティブな言葉とは裏腹に、その表情は充実感に満ちていた。
確かに立ち上がりの青山は、何かがおかしかった。普段は味方の足下にぴたりとたどり着くはずのインサイドパスが、まるで精度を欠いてしまう。
スピードが足りず、あるいは角度を狂わせ、ビルドアップもままならない。そんなシーンが、2度、3度。らしくないプレーが続いた。
「緊張しましたね。久しぶりに代表でやって、慣れるのに時間がかかっちゃいました」
冗談めかして答えたが、ポーカーフェイスの新たなキャプテンが、ひそかに重圧を感じていたのは間違いない。恩師の大事な初陣で、偉大なる前任者から腕章を引き継いでピッチに立つ。
キャリア充分のベテランであり、チームでも主将の大役を長く務めるが、やはり日本代表という場所は別格なのだろう。思い通りにプレーができなかったことで、冒頭の言葉を発したのだ。
日本代表と縁遠かった10年間。
それでも後半には立て直し、持ち味であるサイドチェンジやダイレクトの展開、試合終盤には得意のロングフィードで、かつての同僚、浅野拓磨とのホットラインを開通させている。
もっとも充実の表情の背景は、決して自身のプレーにあるわけではない。「後ろから見ていて頼もしかった」という若きアタッカー陣の躍動に、チームとしての手応えを得られたからだろう。若手の活躍に目を細めるその表情からは、ベテランの貫禄がにじみ出た。
今年で32歳。このチームでは最年長となる。しかし、Jリーグで3度の優勝を成し遂げ、2015年にはJリーグMVPを獲得した青山も、日本代表でのキャップ数はこのコスタリカ戦を含めても、2桁には達していない。
日本代表とは縁遠い男の負の歴史は、2008年までさかのぼる。