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今やJRAを背負う名手ルメール。
アマから始まり日本で成功の軌跡。
posted2018/08/31 17:00
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Satoshi Hiramatsu
8月25、26日、札幌競馬場でワールドオールスタージョッキーズ(以下、WASJ)が行われた。
世界中から6名、地方競馬から1名、さらにJRAから7名の騎手が選ばれ、この舞台で覇を競った。
各ジョッキーはそれぞれ4レースに騎乗。着順に応じたポイントの合計で順位を決定。個人別での優勝のほか、JRAチームと世界選抜チームとで団体戦の優勝を争った。
初日の最初のレースを優勝したのはJRA代表の武豊騎手。同騎手は翌日行われた第3戦でもハナ差の2着となり、この時点までトップを維持。さすが日本の第一人者と思わせた。
しかし、最終第4戦でどんでん返しが待っていた。武豊騎手が11着に沈み1ポイントしか加算できなかったこの一戦を制したのは、クリストフ・ルメール騎手(39歳)。彼は前日に行われた第2戦でも優勝しており、これで今シリーズは2勝。大逆転で自身初となる総合優勝を決めてみせたのだ。
父は障害のジョッキーだった。
ルメール騎手はフランス人。かの国では馬の街として有名なシャンティイで生まれ育った。父が障害のジョッキーだった事もあり、幼い頃から騎手になることを夢見た。
ジョッキーの危険性を知っている父は難色を示したが、騎手になる事に真っ向から反対されても彼が意思を曲げる事はなかった。リーディング調教師であるアンドレ・ファーブル師に自ら電話をして乗せてもらえるようにするなど、活路を求めた。その結果、父の方が折れた。
まずはアマチュア騎手からというゴーサインをもらった。そしてアマチュアで成功を収めた事で彼は夢をかなえた。プロのジョッキーになれたのだ。