サムライブルーの原材料BACK NUMBER
青山敏弘の心からトゲは消えた。
W杯の後悔と、広島での独走と。
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE PHOTOS
posted2018/08/08 08:00
今年のJリーグ最大のサプライズである広島の独走。その中心で青山敏弘は巨大な存在感を発揮している。
合流することなく終わった2度目のW杯。
苦しんだ分だけ、人は成長できる。
試練と突破を繰り返してきた青山の生きざまが、それを証明してきた。今季の彼はチームの池田誠剛フィジカルコーチのもとキャンプから徹底的な走り込みと下半身強化で、1年間走り切る、闘い切る体づくりにこだわった。
その成果を感じつつ、アップダウンを経て人間的な成長も得た。その対価こそが代表復帰であった。リベンジに向かうロシア行きのチケットは手に届きそうなところまで来ていた。
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しかしながら、青山がロシアの舞台に立つことはなかった。
メンバー発表から1週間後、右ひざ痛のために代表を離脱することが決まった。中断前に悪化させており、代表チームの判断によって一度も合流することなく彼の2度目のワールドカップは終わったのだった。
「いや、すぐに切り替えました」
4-1と快勝した三ツ沢での試合後、そのときの思いを聞くことにした。
気持ちを切り替えるには、大変だったのではないか、と。
青山は首を振った。
「いや、すぐに切り替えました。痛みをずっと抱えたまま試合をやっていましたけど(ワールドカップまで)あと1カ月あるから、やりながらとは思っていたんです。ただ、ドクターストップがかかった以上、もうそこは切り替えないと。ケガを治さなきゃいけないというのが先にありましたから」
チームがリベンジを果たしてくれたことは「応援していました。すごいと思います」。その喜びの表情を見るにつけ、心に刺さったトゲが抜け落ちたんだなと思えた。ロシアの舞台に立てなかったとはいえ、中身の濃い4年間を過ごしてきたからこその感得なのだ、と。