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横浜FMに憧れ湘南で育ち浦和で飛躍。
遠藤航の叶った夢と「もう1つ」。
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph byGetty Images
posted2018/07/31 11:30
W杯に帯同したフィールドプレーヤーで出場機会がなかったのは、遠藤航を含むリオ世代の3人。4年後のチームに中心は譲れない。
高3でJ1デビュー、そして。
実際、湘南の環境は、ある意味で彼に最適だった。高校生(湘南ユース)の間は一段と貪欲に練習に取り組み、チームと代表で切磋琢磨し合った同世代の中で守備の安定感を身に付けていく。
2010年、高3の遠藤は2種登録選手としてJ1で6試合の出場機会を得た。とはいえ湘南は最下位を独走し、早々にJ2降格が決定……。最後は22試合勝ち星なし、8連敗でシーズンを終えている。
その最終戦となった12月4日、1-3のスコアで敗れたアウェーの新潟戦。遠藤はJ初ゴールを決めている。当時の反町康治監督から「今日頑張った選手を挙げるならば、高校生(遠藤)と大学生(永木亮太/当時特別指定=現・鹿島)を選ばざるを得ない。稼いでいるプロの選手たちには『なにくそ』と思ってもらわないと」と言わせたほどだった。
サポーターにとっては忘れられない極寒の中で光を放った希望の一撃。全国的にはそこまで脚光を浴びぬ中、静かに遠藤はJリーグでのキャリアを積み重ねていった。
「浦和に行きます」が言えなくて。
リオ五輪代表のレギュラーを務める遠藤の市場価格は高騰し、2015年には5クラブからオファーが届いた。その中で、2年連続真っ先に動いた浦和への移籍を決断した。
湘南の真壁潔会長は遠藤から直接、浦和行きの報告を受けたときのことを明かしている。
「リオ五輪代表チーム(U-22代表)の中東遠征の時、航から電話がありました。報告があります……と、受話器越しに涙で声を詰まらせ、航はそこから先を言えなくなっていた。浦和に行きます、という一言を振り絞れず、泣いていました」
遠藤がそのように感情を昂らせることは滅多にないことだ。少年を一人前のプロ選手へと育ててくれた湘南への特別な想いが伝わってくるワンシーンだった。
浦和に在籍した2年半は、飛躍的な成長を遂げた。2016年のルヴァンカップ決勝G大阪戦、PK戦の最終5人目のキッカーを務めて優勝に貢献した。'17年にはACL制覇を達成。2つの主要タイトルをもたらした。さらに主将としてリオ五輪代表の全3試合を戦い、A代表にもコンスタントに招集され、国内組8人のロシアW杯代表メンバーに食い込んだ。