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横浜FMに憧れ湘南で育ち浦和で飛躍。
遠藤航の叶った夢と「もう1つ」。
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph byGetty Images
posted2018/07/31 11:30
W杯に帯同したフィールドプレーヤーで出場機会がなかったのは、遠藤航を含むリオ世代の3人。4年後のチームに中心は譲れない。
松田直樹や中澤佑二に憧れた頃。
1対1の真っ向勝負でエース級を止めるデュエルの強さが認められ、あらゆる監督から重宝されてきた。そんな彼のルーツは、Jリーグとともにある。
遠藤は幼い頃から、実は「大の横浜F・マリノスファンだった」と明かす。ファイター松田直樹の真似をよくして、ボンバー中澤佑二に憧れた。
2002年7月21日には、中村俊輔がセリエAのレッジーナに移籍する直前のラストマッチ、東京V対横浜FM戦に足を運び、イタリアに羽ばたく「10番」が決めたゴールに痺れた(横浜FMが3-1勝利)。
さらに小学5年、6年、中学になってからと、横浜FMの下部組織のセレクションを受けている。しかし「ダメ元でしたから」という挑戦は、いずれも不合格に終わった。
中学進学の際は、町クラブの2チームのセレクションを通過。それでも熱心な指導で知られる大野武監督が赴任すると聞き、地元の南戸塚中への進学を選択した。
結果的にこの判断が、プロへの道を切り開くターニングポイントとなる。
曹監督に声を掛けられ感激。
遠藤は中学2年のとき、センターバックにコンバートされた。するとじわじわと頭角を現し、中学3年時に国体の神奈川県選抜に抜擢される。誰からも慕われる性格が買われてキャプテンも任され、2009年度の新潟国体サッカー少年の部で、チームを優勝に導く。
それからはU-16など年代別の日本代表にもコンスタントに招集されていった。
中学1年の頃からの成長を見守っていた1人が、当時湘南ユースを率いていた曹貴裁(現・湘南監督)だった。
「ずいぶん上手くなっているな」
中学3年のとき、遠藤は曹からそのように声を掛けられ、驚くと同時に感激した。そしてこのあと湘南ユースから加入の打診が届いたのだ。
ちょっと意地悪に、でもやっぱり横浜FMのユースに行きたかったのでは? と聞いたことがある。遠藤は細い目をさらに細くして笑って言った。
「いやいや。ベルマーレのユースに僕が入れるなんて夢みたいで、めちゃくちゃ嬉しかったですよ」