“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
なぜ突然Jリーガーから俳優に!?
青山隼が語る芸能活動と引退秘話。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/07/21 11:30
この夏、古巣・徳島の“レジェンドアンバサダー”に就任した青山隼。俳優活動の傍ら、チームのPR活動も行うそうだ。
「サッカーに、もうこれ以上甘えたくない!」
失われていく余裕。必死でネガティブな考えに抗おうとするも、真綿で首を絞められるように闇に落ちていく……。
そんな自分を救うには、サッカー選手を辞める以外の道はなかった。
「2015年6月に引退を決意しました。ちょうど別のJ2クラブからのオファーはあったんですが、代理人の方に『もう(引退すると)決めたので大丈夫です』と答えました。サッカーに、もうこれ以上甘えたくないと思ったんです」
新たな道を進み始めて今年で3年。
今の彼に改めてサッカーに対する思いを聞いてみた。
「好きですよ。『職業』として終わっただけで、サッカーそのものを嫌いにはなっていないですから。
選手としての意義を見出せなくなっただけで、サッカーというスポーツに失望していないし、サッカーは今でも大好きって言えますからね。
最初はね、サッカー関連の仕事が来たときは、心の何処かで『過去の栄光をいつまでも引きずっていると思われたくない』という思いもあった。でも、今は『元Jリーガーです』と胸を張って言えるし、サッカーに恩返しをしていきたいと思えるようになった。
舞台『ストックホルム』に出演した時に浦和のサポーター夫婦に温かい言葉をもらって、『やっぱりサッカーは自分から切り離せない大切なものなんだな』と思ったし……。
きっと、自分はこれまで仮面をかぶっていたんだと思うんですよね。その仮面を取ってみたら、凄く気も楽になったということだと思います」
篠ひろ子「その人の人間性が役に出る」
人は強制的に自分の過去に蓋をしようとしたとき、無意識に自己否定をしてしまっていることが多い。
青山の場合、当然、心ない人から「あいつは自分の経歴を利用している」と言われることも多いだろう。しかし、彼が自ら築き上げた輝かしい経歴は、そう簡単に手に入るものではなかったはずだ。真摯にサッカーに打ち込み、ストイックかつ向上心を持って弛まぬ努力をしてきた結果、掴みとった彼だけの大事な「財産」だったはずなのだ。
積み上げてきたものに新たなものを積み上げる――。
その新しい価値をようやく見出せたことで、青山隼は今、晴れやかな気持ちで次なるチャレンジを楽しんでいるところなのだ。
「いまは、自分の自然な感情を大事にしようと思っています。それに、自分で作ってしまった自身の固定観念からも開放されて、柔軟性が出てきたと思う。
もちろん過去は過去だけど、過去があったからこそ今があるんですから。俳優にしろ、サッカー選手にしろ、最終的には『人』。
伯母さんの言葉だけど、『その人の人間性が役に出る』ということだと思うんです。
僕は長い間、サッカーから人生のすべてを教わってきた。人間形成のすべてをサッカーで教わったから、俳優として頑張っていく中で、サッカーへの恩返しを考えていきたいと思っています」