“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
なぜ突然Jリーガーから俳優に!?
青山隼が語る芸能活動と引退秘話。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/07/21 11:30
この夏、古巣・徳島の“レジェンドアンバサダー”に就任した青山隼。俳優活動の傍ら、チームのPR活動も行うそうだ。
辞めた理由は、本当は何だったのか?
長時間にわたったインタビューで、話が深くなったこのタイミングだからこそ、筆者はその一番微妙なテーマを彼にぶつけてみた。
「辞めた理由は、本当は何だったのか?」と。
「そうですね……2013年に徳島でかなり試合に出られて、自分なりにチームのJ1昇格に貢献できたとは思っています。26歳になる2014年はようやくJ1でプレーできることになって、『この1年が僕のサッカー選手としての今後を大きく占う1年になる』と思ったんです。
より上のレベルに行って、A代表も視野に入れられるチャンスの1年だと思っていた。
だからこそ、自分のため、チームのためにもっと全力でやろうと。でも、結果は試合にあまり出られないまま、チームもJ2降格。オフにJ1への移籍話も浮上したのですが、それが最後の最後で消滅してしまい、徳島と契約延長することになったんです。
その時は、『来年、徳島で全力を尽くそう』と思っていたのですが、年が明けて、キャンプインして、練習に入ったら……。なぜか今までのように気持ちが入らないんですよ。
『あれ……どうしちゃったんだろう?』って自分でもすごく驚くくらい、モチベーションが上がってこなかった。
これまで良いときも悪いときもあったけど、本当にサッカーが好きで、常に向上心を持ってサッカー中心の生活を送ってきた自分が嘘のように、気持ちがまったく『無い』ことに気づいたんです。
これは……未だによく分からないんですが、これまで当たり前のようにあった、サッカーをやっていく上での心の芯の部分がすっぽりと無くなった……としか言いようがないんです」
自主トレもせず、「早く家に帰りたい」と。
サッカー選手としての大事な「心」が突然失われた。
サッカー選手としての自分が、まるで自分ではないように感じられる状況に、彼は大きく戸惑った。
だが、一旦失われてしまった心は、これまでのサッカー人生ではあるまじき、まったく真逆の行動を引き起こしてしまっていた。
「練習後は毎日のように自主トレをしていたのに、『早く家に帰りたい』と思うようになって、ついには自主トレもしなくなってしまったんです」