“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
なぜ突然Jリーガーから俳優に!?
青山隼が語る芸能活動と引退秘話。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/07/21 11:30
この夏、古巣・徳島の“レジェンドアンバサダー”に就任した青山隼。俳優活動の傍ら、チームのPR活動も行うそうだ。
「サッカーが嫌いになったわけではない」
「ある時……紅白戦をやっている時にモチベーションが無くなってしまって。コーチに『今、僕がプレーしている意味が分かりません』と言ってしまったんです。
それは練習メニューや試合内容に異議を唱えるものではなくて、ただ単に『自分がピッチの中に立ってプレーしている意義』すら分からなくなった、ということなのですが。
その時はすぐに紅白戦を外れて、しばらくピッチの外から眺めていました。
家に帰ってから『何てことをしてしまったんだ』と落ち込んで、『明日こそは……』と気持ちを上げようとしたのですが、次の朝を迎えてもやっぱり変化はなかった……」
サッカーが嫌いになったわけではない。
プロ選手としての人生を否定するわけでもない。
それに、決して遊びやお酒、ギャンブルなどの誘惑に走ったわけではない。
ただ彼は、知らず知らずのうちに精神的に大きなダメージを抱えてしまっていた。
「これまでの自分を自分から全て否定」
「シーズンが開幕して、開幕から5試合はスタメン出場をしたのですが、普通なら『チームのために』とか、『このポジションを守りたい』、『次も出たい』と思うじゃないですか。
でも……そういう感情が1つも出てこなかったんです。
ピッチに立っている意味が一向に見出せなかった。徳島の代表として試合に出ているにもかかわらず、勝利への執念や戦う気持ちが僕だけ無くて、ましてや試合のための1週間の準備も怠っている状態。
練習や試合が終わったらすぐにシャワー浴びて、身体のケアも何もせずに、まっすぐに家に帰って、そこから外出もせず、人とも会わず、ずっと部屋にこもったまま。毎日『明日こそ』と思っていたけど、ずっと変化が生まれなかった。
もはやプロサッカー選手とは言えなかった。
そういう自分が凄く嫌でした。これまでの自分を自分から全て否定してしまっていたんです」
当然のように青山はその後スタメンを外れ、ついにはベンチからも外れることとなった。
それに対しても最初は「別にいいや」と思っていたのだが、どんどん自らを責めていく傾向が強くなっていったのだという。
「スタンドを見ると……サッカー選手としての青山隼を観に来たい、応援したいと思ってくれている人が少なからずいたんです。
そういう人たちが『今日は試合を観て、明日は仕事を頑張ろう!』と思いながら、お金を払って試合に足を運んでくれている。にもかかわらず自分はプロとして果たすべき責任を放棄しようとしている、と。
どんどん自分に対する嫌悪感が増していって、最後の方には練習をしていても途中で吐き気に襲われて離脱したり、かなり精神的に追いつめられてしまったんです」