“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
なぜ突然Jリーガーから俳優に!?
青山隼が語る芸能活動と引退秘話。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/07/21 11:30
この夏、古巣・徳島の“レジェンドアンバサダー”に就任した青山隼。俳優活動の傍ら、チームのPR活動も行うそうだ。
「半年くらい大きな仕事が来なかった!」
「もちろん当時も周りのスタッフへの感謝の気持ちは持ち続けていたのだけど、とんでもなくありがたいことをしてもらっていたんだな……と痛感しました。だからこそ、感覚がJリーガーのままではいけないと思って、生活水準も超下げました(笑)。
まだ貯金が残っているときだからこそ、もっと節約をして無駄使いせずに、日々の稼ぎの範囲内でやっていこうと決めたんです」
日々変化していく意識。
そして突きつけられる現実。
「『新宿スワンII』のあと、心の何処かで『これから仕事が入ってくるだろうな』と少し思っていたけど、やっぱり甘かった。
そこから半年くらい大きな仕事がまったく来なかったんです。
その間、オーディションを受けたり、演技の勉強をしたりしていたのですが、サッカー選手のときは何時から練習で、試合の日は何時にご飯食べて準備して、移動してなど、常に時間が管理されている状態だった。でも、今はスケジュールを自分で管理しないといけなくて、正直、朝まで飲んでいようが、昼の1時、2時に起きようが、誰も文句は言わないんです。一見良いように見えますが、自分次第で良くもできるし、悪くもできる。自由なようでかなり危険だと感じました」
何をしても誰にも文句を言われない環境――。
これはつまりすべてが自分次第で、這い上がることもできるが、とことん落ちていくこともあるリスキーな状態でもある。
このまま後者の人間になってしまわないよう、2人の偉大な先輩に言われた感謝と謙虚さを心に刻みながら、彼は俳優としての力を磨き続けた。
「徳島や浦和サポーターの人も来てくれた」
引退して最初の舞台出演は、2016年11月の江戸川乱歩作品『虚構のペルソナ』だった。
そして、テレビ番組の『スカッとジャパン』、『サカたび』に次々と出演してみせた。2017年2月には人気刑事ドラマ『相棒』にも出演し、今年に入ってからは2度目となる舞台『ストックホルム』に出演。
「舞台にはサッカー関係の人も多く観に来てくれましたし、徳島サポーター、浦和サポーターの人も来てくれた。
ありがたかったのが、僕は浦和に1年しかいなかったのに、ずっと『青ちゃん』と物凄く応援してくれるご夫婦のサポーターの方がいて、その2人が観に来てくれたこと。舞台後に挨拶をしたら、『私たちのこと覚えて下さっているのですか?』と言ってくれた。
奥さんの方は目が見えない方なのですが、『青ちゃんの声を聞けて凄く良かった』と言ってくれて、本当に涙が出るほど嬉しかった。
正直……僕はこの世界に来るときにサッカーとは、はっきりと一線を引こうと思っていたんです。でも昨年、ある人に『お前の27年間は何だったの? お前がサッカー選手として必死で積み上げてきた財産と、サッカーを通してピッチ内外で人として成長させてもらって、それを支えてくれた人たちを何で切り離す必要があるの? 切り離そうという考えを持っているお前自身が調子に乗っている。今までの自分の生き方を否定するな!』とはっきりと言われて、本当に心に響いたんです」
そんなエピソードを神妙な面持ちで淡々と話してくれた青山。
ここで改めて、「なぜあんなにスパッとサッカー選手を辞められたのか」という疑問が浮かんできた。当然、簡単な決断ではなかったはずだ。