“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
なぜ突然Jリーガーから俳優に!?
青山隼が語る芸能活動と引退秘話。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/07/21 11:30
この夏、古巣・徳島の“レジェンドアンバサダー”に就任した青山隼。俳優活動の傍ら、チームのPR活動も行うそうだ。
あの篠ひろ子と伊集院静に相談!!
彼が相談をした伯母というのは、あの昭和の名女優の篠ひろ子、そして伯父は伊集院静だった。2人の大物俳優からもらったアドバイスは、彼の中で非常に大きなものになっていた。それと同時に、生半可な気持ちでやっていけないことも教えられてもいた。
「2人には『人の倍は努力しろ』、『常に謙虚と感謝の気持ちを持て』と言われています。
伯母さんは『最初は私も演技ができなかった。でも、なにくそ精神で絶対にいつか見返してやるという気持ちを常に持っていた。
売れてからも演技力や表現力よりも、人としてのあり方がそれらに反映されるから、常に謙虚と感謝の気持ちを持って、少しでも人から応援されるようにしなさい』と言われました。
さらに『芸能は他の職種の人たちとやっていることは変わらない。でも、ちょっとだけ他の職種よりスポットライトを浴びているだけで、同じ人間なのだから決して驕ってはいけない。そんな態度を取る時点で人としてダメ』という言葉ももらっています。
伯父さんからは日本語の使い方ですね。『スポーツ選手の会話や返事の仕方をそのままやっていていい世界ではないから、ちゃんと言葉を考えてから発しなさい』と。軽はずみに『そうっすね』とか言わないように。これから多くの目上の人と会うことになるのだから、より明確な言葉で伝えないといけないよ』と言われました。
正直2人には全部見透かされている気がしますね。だからこそ、甘えた態度はとれないですよね」
自分がいかに恵まれていたかを痛感。
2人の偉大な大先輩の言葉通り、芸能の道は甘くはなかった。
転身後の最初の仕事は芸能事務所に入った2015年10月から2カ月後のことだった。
年明け早々、大ヒット映画の続編となる『新宿スワンII』の仕事が入ってきた。いきなり大きな仕事が舞い込んできたと思いきや、彼の役は主演の浅野忠信に絡むチンピラ役。当然出演時間もごく僅かで、その他大勢の中の1人に過ぎなかったのだ。
「数秒のシーンなのですが、昼の3時にロケ場所に集合をして、撮影が終わったのが朝の6時半。その間、『寒い』と震えながらほとんど立って待っている状態でした。現場には簡易の休憩所はあったけど、ペーペーの僕はあまり使えなくて、浅野さんにはすぐにホッカイロ入りのダウンとか椅子を持ってくるけど、僕はずっと後ろで震えながら立っていて、しばらくしてからスタッフの方とかに『あ、着ます?』という感じで上着を渡される程度。
でも、『あ、こうやってもっとメジャーになりたいという反骨心や向上心が生まれてくるんだな』と懐かしく思えましたね。僕もユースのときは『報道陣に囲まれて、高級車乗って凄いな……。早く俺もああなりたい』と憧れていた。あのときの感情に戻れた気がしたんです」
そんな経験もしながら、青山はJリーガー時代の自分がいかに恵まれていたかを痛感し、初心に戻ることができたわけだ。名古屋グランパスユースからトップチームに昇格し、セレッソ大坂、徳島、浦和レッズ、徳島と渡り歩いてきた青山は、何でも周りにしてもらうことが当たり前の、非常に恵まれた環境にいたことを、今更ながら実感することになった。