“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
フロンターレ昇格を蹴って進学。
筑波大・三笘薫、人生の選択について。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2018/05/28 07:00
谷口彰悟や車屋紳太郎ら筑波大から川崎へ入団した選手は数多い。三笘薫もその流れに続く。
「当時はプロでやる自信がなかった」
三笘も当時のことをこう振り返る。
「はっきり言って、当時はプロでやっていく自信がありませんでした。1学年上の三好(康児)選手や板倉(滉)選手の姿を見て、客観的に考えたときに、トップでやれる自信が決定的に足りなかった。その現状から、将来を考えると筑波大に行った方が良いと思ったんです。
もちろん夢や目標としてプロサッカー選手となってA代表に入って、海外で活躍することはあります。ただ、多少回り道でも高卒からプロではなく、当時は大学進学がベターだと思ったんです。お声をかけていただいたのが筑波大なのも凄く大きくて、4年間勉強ができるし、自分とサッカーをもっと客観的に見つめられると思ったんです。
プロになると、目の前の1試合、1試合に懸ける想いを凄く求められます。ただ僕は、あくまで長期的なビジョンでも自分やサッカーを見つめたかったんです。この長期的な視野は自分にとって凄くメリットだと思うし、人生にも大きく影響すると思ったんです」
「自信がない」。ただの逃げのように聞こえるが、言葉を発する人間の考え方で大きく意味が変わる。三笘は冷静に長期的なビジョンで考えていたから、あえてこの言葉を使ったのだろう。
筑波大ではいろんな視点を学べた。
「高3の春のことです。当時関東大学リーグ2部だった筑波大の試合を見て、パス主体で個々の技術を大切にしているのが凄く伝わりました。当時は1、2年生の選手がたくさん出ているし、個々のレベルも高かった。『今は2部リーグだけど、絶対にこれからもっと強くなるチームだな』と興味を抱いたんです。
ちょうど進路に悩んでいた時期だったので、ユースの今野監督に“筑波大の練習に参加したい”とお願いをして練習に参加させてもらいました。思った通り練習の質とレベルが高くて、グラウンドなどの環境も良かった。
勉強面でもサッカーを客観的に分析して、いろんな視点を学べました。サッカー選手としての現役時代はそんなに長くないですし、その先の方が長い。人間的な成長も視野に入れて考えると、“ここしかないのでは”と思っていました」