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因縁の相手リバプールとのCL準決勝。
ローマは“34年前の汚点”を消せるか。
text by
手嶋真彦Masahiko Tejima
photograph byGetty Images
posted2018/04/24 16:30
バルセロナ戦の劇的勝利後、喜び合ったジェコ(9番)とデロッシ。リバプール相手に34年越しのリベンジなるか。
「第8代ローマ皇帝」だったファルカン。
1980年にローマの一員となったファルカンは、リバプールとのチャンピオンズカップ決勝までの4シーズンで公式戦128試合に出場し、25得点を記録。エレガントな司令塔として1982-83シーズンのセリエA制覇に大きく貢献していた。
ローマにとっては実に41年ぶり2度目のスクデット獲得であり、その立役者となったファルカンは「第8代ローマ皇帝」の異名を取る太い柱となっていた。バンディエーラ(旗頭)に君臨していた頃のフランチェスコ・トッティを想像してもいい。
ローマの2人目のキッカーは――。ファルカンではなかった。PKスポットに立ったのはコンティ。得意の左足で放ったキックは、クロスバーを越え、上空に消えていった。
3人目も、4人目もファルカンではなかった。ローマの最後のキッカーとなったのは、4人目のグラツィアーニ。右足を強振するも、コンティのPKと似たような軌道を描いたボールはクロスバーに当たって角度を変え、やはり上空に消えていった。
先攻のリバプールは1人目だけ外し、2人目、3人目、4人目と成功。3-2で迎えた5人目のキッカーは、左に飛んだローマのGKの完全に逆を突く。ボールはゆっくりとゴールに吸い込まれ、決着がついた。リバプール4度目の欧州制覇――。
素晴らしい出来事だが、なぜ蹴らなかった?
やがてオリンピコのスタンドに、歌声が響き渡る。ローマの大健闘を称えるロマニスタの歌声だった。トニーニョ・セレーゾはこう回顧している。
「今でも思い出す。“グラツィエ(ありがとう)ローマ”というあの歌声を。震えるような、素晴らしい出来事だった」
素晴らしい出来事だったがゆえに、ずっと燻り続けてきたのが次の疑問だろう。
なぜ、ファルカンはPKを蹴らなかったのか?
全盛期のトッティがPKを蹴らず、欧州王座を逃すはめとなったら、その理由を知りたいと思うのが人情というものだ。勘繰る者も現れた。あの夜、ファルカンは怖気づき、逃げたのではないか? 皇帝とも呼ばれたアイドルへの悲しい疑念……。ファルカンは今でもローマのレジェンドだ。だからこそ、苦い後味はずっと残っている。