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因縁の相手リバプールとのCL準決勝。
ローマは“34年前の汚点”を消せるか。
text by
手嶋真彦Masahiko Tejima
photograph byGetty Images
posted2018/04/24 16:30
バルセロナ戦の劇的勝利後、喜び合ったジェコ(9番)とデロッシ。リバプール相手に34年越しのリベンジなるか。
大会史上初のPK戦へともつれ込んだ。
対戦相手のリバプールは、現在のR・マドリーやバイエルンにも匹敵する最強勢力のひとつだった。チャンピオンズカップは1976-77、'77-'78、'80-'81シーズンに制しており、その'83-'84シーズンは通算4度目の優勝を狙っていた。
20時15分にキックオフの笛が鳴った決勝は、1-1のタイスコアで延長戦に突入。120分間を戦い抜いても白黒つかず、PK戦にもつれ込む。欧州王者をPK戦で決めるのは、大会史上それが初めてだった。
ローマの1番手はアゴスティーノ・ディバルトロメイ。その1983-84シーズンのPKキッカーを務めてきた精神的支柱のキャプテンは、ど真ん中に強烈なキックを叩き込む。オリンピコは喧噪で割れんばかりになった。決勝の会場は、たまたまローマのホームスタジアムだったのだ。
7万人で立錐の余地もないスタンドのほとんどを占めるロマニスタたちは、ハラハラしていた。ディバルトロメイの後が問題だったのだ。ここから誰に蹴らせるべきなのか?
トニーニョ・セレーゾは交代していた。
1982-83シーズンまでのPKキッカーであり、リバプールとの決勝ではローマの唯一のゴールを決めていたのがロベルト・プルッツォだ。もうひとり頼りにできるのはブラジル人のトニーニョ・セレーゾだった。しかし、プルッツォは怪我でベンチに下がっており、トニーニョ・セレーゾも足を痙攣させて交代を余儀なくされていた。
左足のキックが強烈かつ高精度のアルド・マルデーラも不在だった。出場停止でベンチにすら入っていなかったのだ。ファンタジスタのブルーノ・コンティは疲労を隠せなかった。FWのフランチェスコ・グラツィアーニは生粋のボンバーで、器用なタイプではない。それにコンティとグラツィアーニはやや感情的になりやすく、極度の緊張状態で平常心を保てるか疑問だった。
さあ、誰が蹴る?
ロマニスタの誰もが登場を願っていたのは、パウロ・ロベルト・ファルカンだった。聞き覚えのある名前だろう。ブラジル代表の主力として1982年のワールドカップを戦い、ファルカンを含めた4人の中盤は世界中のサッカーファンを魅了して“黄金のカルテット”とも称された。1994年の一時期ではあったが、日本代表監督も務めたあのファルカンだ。