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“大槻組長”は岡ちゃんに似ている。
浦和を救った暫定監督の素顔と手腕。 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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photograph byGetty Images

posted2018/04/24 17:00

“大槻組長”は岡ちゃんに似ている。浦和を救った暫定監督の素顔と手腕。<Number Web> photograph by Getty Images

ファンの垣根を越えて愛された大槻毅暫定監督。ヘッドコーチとして浦和を支える今後にも注目だ。

「岡ちゃん」も監督になった瞬間、変貌。

 類まれなるセルフプロデュースとして思い出すのは、'97年のフランス・ワールドカップ・アジア最終予選の最中に、コーチから監督に昇格した岡田武史さんの変貌だ。

 敵地でのカザフスタン戦を終えた夜に、加茂周監督が解任されるという緊急事態。しかも、次戦も敵地でのウズベキスタン戦と、中央アジア遠征の真っ最中だった。

 そこで白羽の矢が立ったのが、コーチの岡田さんだったわけだが、翌日のミーティングの場に、それまで選手の兄貴的存在だった「岡ちゃん」はいなかった。

「びっくりしましたよ。雰囲気がまったく変わっていたから」

 そう語るのは、当時22歳だった城彰二さんである。

「それまで、みんなが『岡ちゃん、岡ちゃん』と呼んで慕っていたし、ときにはイジッたりもしていたけれど、岡田さんは監督になって『岡ちゃん』と呼ぶことを禁じた。それで、『闘えない選手は日本に帰ってもらう。俺が監督をやることに不満な者も帰ってくれて構わない』と言ったんです。チームの雰囲気はピリッと引き締まりました」

 地位が人を作るという面もあるが、その前に、まずはその地位に相応しいように自らをプロデュースする――。その点で、岡田さんと大槻前監督の振る舞いには、似たものがうかがえる。

「俺、お前に期待しすぎか」と声を掛ける。

 もっとも、本質のところでは、大槻前監督はユースの監督時代から何ひとつ変わっていない。アカデミーで指導を受けたルーキーの橋岡大樹と荻原拓也も「変わらないですね」と口をそろえた。

 その本質とは、稀代のモチベーターであり、優れた分析家という両面だ。

「大槻さんの言葉には、いつも信頼や期待が込められている。ユース時代にはいつも『俺、お前に期待しすぎか』って声を掛けてくれた。あの人のために、と思わせてくれる監督です」と証言したのは荻原である。また、柏木陽介も「キャプテンとしてのモチベーションの上げ方に関して、すごくよくしてもらった。得られるものが多い監督だった」と振り返る。

【次ページ】 「ミーティングが楽しみに」(西川)

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