球道雑記BACK NUMBER
菅野、野村と共に“大学ビッグ3”と……。
ロッテの左腕・藤岡貴裕、復活の道。
posted2018/03/22 07:00
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph by
Kyodo News
こだわりを捨てて実をとるのか、こだわりを持って退路を断つのか。
千葉ロッテ・藤岡貴裕はこの3年間、2つの選択肢の間でずっと悩まされてきた。先発での起用を希望しながら、この3年間は中継ぎでの起用が主だった。
2016、'17年は先発での起用は一度もなく、その一方で'16年には中継ぎで32試合に投げて防御率2.55。推定年俸も中継ぎ転向を機に少しずつアップしていたが、その間、体調管理やメンタルの調整、さらには故障などで苦しんだことも彼の気持ちに変化を与えていたのだろう。
2017年はキャリアワーストの10試合、防御率16.62の成績で終了し、シーズンの大半をファームで過ごすと一転、選手生命の危機も感じるようになっていた。
「正直、(中継ぎを)したくてしていたわけではないので……。勿論そういう人がいるからこそ試合が成り立つ部分もありますし、ポジションの大切さも感じているし、理解もしています。そこでピッチャーが抑えれば味方が逆転してくれるのも、自分の身で感じたことだし分かっているんです。
だけど、それは自分のやりたいこととは違う。自分の中でも何度も考える部分がありましたし、『一軍で投げてナンボ』だとも思います。中継ぎを任されて、結果も残して、先発に戻れたらいいなと思ってこの3年間はやっていましたし、文句も言わなかった。だけど、心の中ではずっと『先発したい』という気持ちが残っていたし、消えることはなかったんです」
つもり積もった想いを、打ち明けるようにそう言った。
なんとか一軍の先発ローテに戻ろうと……。
2011年のドラフト1位で千葉ロッテに入団。1年目の開幕直後にいきなり4勝を飾り、左のエース候補として期待された。
しかし、その後左肩に違和感を覚え戦線離脱。1年目は結局6勝どまり、2年目も3年目も6勝で二桁勝利には届かず、4年目の'15年には開幕直後に二軍降格を言い渡されると以降、中継ぎでの登板が主となった。
このオフはもう一度、一軍の先発ローテーションに戻ろうと、いつにもなく精力的に動いた。