サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「10年後に会おう」と約束した年、
北京五輪戦士達がロシアW杯に挑む。
posted2018/03/20 07:00
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph by
Getty Images
W杯ロシア大会開幕まで3カ月を切った。3月のベルギー遠征では、本田圭佑が日本代表への復帰を果たした一方、岡崎慎司、西川周作が落選した。これから彼らのメンバー当落を巡る話題にも注目は集まるだろう。
北京五輪世代。絶望的な敗退を何度も経験し、そこから這い上がってきた。彼らはロシアで意地を見せることができるのか。
座して死を待つより、出でて活路を見出さん――。
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2008年の北京五輪グループステージ。日本はアメリカ(0-1)とナイジェリア(1-2)に2連敗を喫した時点で、決勝トーナメントへの道が絶たれた。
オランダとの第3戦、日本は何かしらの痕跡を残そうとした。本田圭佑や西川周作ら'85、'86年生まれの選手は2005年のワールドユース(現U-20W杯)で、オランダに衝撃的な敗戦を喫していた。ライアン・バベルら当時対戦したメンバーも数多く残っている。しかも北京五輪でのオランダは2引き分けと波に乗れずにいただけに、日本が一泡吹かせてインパクトを残すチャンスとも言えた。
北京五輪はすべてが不運だった。
そして試合前のミーティング、反町康治監督は冒頭の言葉を選手たちに送った。三国志に登場する、徹底して勝利を追求した策士、諸葛亮の言葉だ。
受けて立つな。攻め挑むことで、活路は見出せる、と。
ところが、日本は明らかな差を見せつけられ、0-1で敗れる。オーバーエイジの交渉はぎりぎりまで粘ったが、大久保嘉人は招集できず、唯一内定していた遠藤保仁は大会直前に体調を崩し、結局1人も合流できなかった。
直前の壮行試合も、豪雨で試合終了間際に「中止」になった。五輪の檜舞台としてはあり得ないデコボコな芝生も日本に不利に働いた。向かい風ばかりのなか、最後まで事態は好転しなかった。
もはやそういった次元ではなく、2005年のワールドユースのときより同世代のトップレベルとの差が明らかに開いている――。その厳しい現実を突きつけられた。