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「10年後に会おう」と約束した年、
北京五輪戦士達がロシアW杯に挑む。
text by
塚越始Hajime Tsukakoshi
photograph byGetty Images
posted2018/03/20 07:00
本田圭佑、長友佑都、香川真司……10年前の北京五輪から戦ったメンバーたち。彼らはロシアのピッチに立てるか。
北京の屈辱から18人が歩んだ人生。
エンジンのかかりの悪いオランダを相手に、チャンスは作れたもののゴールをこじ開けることはできない。そして73分にPKで失点……。グループステージ敗退の可能性もあったオランダは、しっかりグループ2位通過と帳尻を合わせてきたのだ。
日本はグループステージ3試合全敗、ゴールはナイジェリア戦での豊田陽平の1点しか奪えなかった。ノーインパクトのまま、静かに夏を終えた。
あれからちょうど10年が経つ。
最年長の豊田らは33歳を迎える。年齢でその世代を一括りにして語ることを当事者は嫌がるはずだが、それぞれの世代を率いた監督の特色も影響しているのか、五輪チームごとにカラーが見える。北京の屈辱から、18人の反骨の人生は新たな局面に突入していった。
本田、岡崎、吉田らの活躍と「将来性」。
本田圭佑はチャンピオンズリーグやW杯で衝撃のゴールを決めて代表のエースとなり、岡崎慎司はレスターでプレミアリーグ優勝を果たした。吉田麻也は“日本人DFは活躍できない”というプレミアリーグの常識を覆してレギュラーの座を掴み、香川真司はドルトムントの中心選手として欧州中に知られる存在となった。森本貴幸はカターニャのアイドルとなり、長友佑都はインテルとガラタサライで、内田篤人はシャルケで戦い続けた。
「でも不思議だよ。あの世代で最もA代表に近いと言われていた梶山陽平が、日本代表に一度も選ばれなかったんだから」
反町康治は、本当に不思議だ、と繰り返す。そして北京五輪の18人のメンバー選考について、その“最後の選択”をどのように決断したかを明かしてくれた。
「最後の結論を出すのは難しかった。選手の人生を左右するわけだから。ただ、力がほぼ同じと見た場合に何を考えたかといえば、将来性だった。例えばセンターバックは、森重真人、吉田麻也、青山直晃、伊野波雅彦で迷ったとき、そこからの可能性について考えて選んだ」