Jをめぐる冒険BACK NUMBER
オシムと羽生直剛の師弟関係は今も。
「出会えた奇跡が嬉しいし、怖い」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKiichi Matsumoto
posted2018/03/10 08:00
インタビュー取材に応じてくれた羽生直剛。朗らかな笑顔が印象的だった。
笑顔はむしろ自分の弱さだったのかも。
――ちなみに、先ほど話に出た2007年アジアカップ3位決定戦でのPK戦。6人目のキッカーでしたが、オシムさんから指名されたんですか?
「いや、あれは(コーチの)大熊(清)さんが決めた、という噂があります。大熊さんはPKが上手いと思っていたんでしょうけど、僕は昔から下手なんですよ。素直な性格なので、GKに読まれることが多い。あれ以来、PKはずっとトラウマで、練習のPKも蹴りたくなかった(苦笑)。だから、代表に居続けている選手のメンタルって、やっぱりすごいと思いました。平気な顔をしているけれど、実際にはストレスやプレッシャーを半端ないくらい感じているはずなので」
――アジアカップでもあれだけプレッシャーが掛かるんだから、ワールドカップなんてどうなってしまうんだと?
「本当にそう思いますね。独自の対処法でも持っているのかな」
――同級生に、国際Aマッチに150試合も出場した選手(遠藤保仁)がいますが。
「良い意味でマイペースなんでしょうね(笑)。やっぱり自分は代表選手に値するメンタルではなかったんだな、と感じます。強くなければ代表に居続けることはできない。代表に限らずクラブでも、チームを引っ張る強さが自分にはないなということを、30歳を過ぎたあたりから、すごく感じていました」
――リーダーシップというか。
「そうですね。仲間に認められたいと思ってやってきたし、苦しい時期をみんなで乗り越えたり、みんなでサッカーを作り上げていったりする日々に充実感を覚えていた。だから、周りを巻き込んだり、みんなを盛り上げて、笑顔でやってきたつもりですけれど、それが自分の弱さだったりもするんだろうなって」
――ときには厳しく叱咤激励することも必要だった?
「はい。ナビスコカップと天皇杯では優勝することができたけれど、リーグ優勝できなかったのは、そういうところかなって。絶対に勝たなきゃいけないゲームで、緩いプレーをした選手に自分がもっと厳しく言えていれば、と思うことはありますね」
――では、印象に残っているゴールは?
「最初のゴールはすごく印象に残っています。僕、プロ1年目からかなり試合に出してもらっていたのにシュートを全部外していたから、『裏得点王』って言われていて(苦笑)。みんなから散々イジられて、11月だったかな、やっと決まった。中西(永輔)さんや坂本(將貴)さんたち先輩から『やっとだな』と言われたのを覚えています。本当に、やっとプロになれた、という感じでした。あとは、カターレ富山戦とか」