フランス・フットボール通信BACK NUMBER
イラクのサッカー界は復活したか?
“負けたら拷問”時代からの復興。
text by
クエンタン・ミュレールQueentin Muller
photograph bySebastian Castelier
posted2018/03/01 17:00
フセイン家の支配下で投獄され、拷問されたシャラル・ハイダルは、イラクサッカー界の復活に取り組んでいるが……。
「(拷問で)背中が血だらけになった」
そんなある晩のこと、ウダイ・フセインの使者が彼のもとを訪れた。
「夜中の2時半だった。私は強制的にオリンピック委員会に連行され、そこでウダイと電話で話をした。彼は私に翌朝から練習に戻るように求めた。難色を示したら、彼は私を再度アル・ラドワニアの刑務所に送った」
刑務所で彼は裸にされ、仰向けに寝かされた。
「看守たちが足で私を引きずり回した。固い床の上で、背中は血だらけになった。その後で彼らは私を砂の中に投げつけ、汚水の中に放り込んだんだ」
さらに待ち受けていたのが、ファラカと呼ばれる木靴で蹴りつけられる拷問だった。
「この3度目の投獄は6カ月続き、出所の際にウダイは私をサッカー界から永久追放したんだ」
ハイダルは1997年にイラクからの脱出に成功し、アメリカがイラクに侵攻した2003年に帰国した。そして2005年からは、祖国のスポーツ復興のために尽くしている。
彷徨い続けるイラクサッカー界の現状。
暴虐の限りを尽くしたウダイ・フセイン以降、イラクサッカー界は行き先を見失い彷徨い続けている。
2003年のアメリカの侵攻と2006年から'08年まで続いた内戦、この間にアルカイダが台頭し、彼らが独自のカリフを擁立して建てたイスラム国は、2014年から2017年末まで存在し続けた。
混乱が続く中、サッカーは片隅へと追いやられた。
多くのスタジアムが破壊されるか軍事施設として活用され、幾つかの地域ではサポーターが襲撃され虐殺された。スター選手たちは次々と国外に脱出し、国内に残った選手たちの多くがほんの些細なことがきっかけで殺されたのだった。
ハイダルは、アメリカの責任が大きいと指摘する。