フランス・フットボール通信BACK NUMBER
イラクのサッカー界は復活したか?
“負けたら拷問”時代からの復興。
text by
クエンタン・ミュレールQueentin Muller
photograph bySebastian Castelier
posted2018/03/01 17:00
フセイン家の支配下で投獄され、拷問されたシャラル・ハイダルは、イラクサッカー界の復活に取り組んでいるが……。
アメリカの暫定支配は、混乱を招いただけ。
アメリカはイラクに侵攻した後、宗教と部族によりイラク社会を分断した。
スポーツ省を暫定的に統括したのは、アメリカから赴任したジョン・エベリーだった。ハイダルが説明する。
「彼はベストを尽くそうとしたが、やり方が最悪だった。私たちの文化をまったく理解していなかった。
以前のイラク人はシーア派でもスンニ派でもクルド派でもなかった。それなのにスンニ派とシーア派、クルド派それぞれ5人からなるスポーツ委員会を立ち上げた。
そんな選び方をしたのが、私たちにはショックだった。彼にはこれでは混乱に陥るだけだと言ったのだが……」
「そうしなければ、収容所で処刑されていた」
丸顔で掌の大きなバシム・カシムは、数々のトロフィーが陳列された協会の小さなサロンでわれわれを迎えた。
元イラク代表選手であり、現在はイラク代表監督を務める彼も、イラクに残りサッカーを継続させるために働くことを選んだひとりだった。
内戦初期の2007年に、彼はバグダッドを離れドホークで地元チーム、アル・スルタの監督を引き受けた。スタッフたちと現地に向かう途中、ヴェールを被り武装した兵士たちが、バリケードを築いて彼らの行く手を阻んだ。
「アルカイダの監視ポイントだったんだ」とカシムが振り返る。
「彼らは車を止めさせて、私の身分証明書をチェックした」
幸運なことにアル・ジブリという彼の部族名は記載されていなかった。
「だから私は自分はアル・ジャナビ(別の部族)だと偽った。そうでなければ、収容所に連行され処刑されていただろう。組織と対立する部族の人間を狩り出そうとしていたんだ」
とっさの機転が彼の命を救ったのだった。