熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
カズ20歳、ブラジルでの洗礼と栄誉。
必殺ドリブルと“日本のガリンシャ”。
posted2020/06/06 20:00
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Hiroaki Sawada
7月4日のJ1再開を前に、その奮闘を実際に目撃していたブラジル在住のライター沢田啓明氏に全5回シリーズで記してもらった。第2回はカズがブラジルで歩んだ苦難のキャリアについて。
カズの経歴は、他の日本人選手とは全く異なる。世界中を見渡しても、彼のような足跡を辿ったフットボーラーはほとんどいない。
1967年2月26日、静岡市で生まれた。父・宣雄とその家族は、大のフットボール好き。2歳年上の兄・泰年と共に、2歳の頃からボールを蹴り始めた。
宣雄の弟・義郎が監督を務めていた城内FCに入り、フットボール漬けの毎日を送る。
地元の強豪、静岡学園高校(1995年度と2019年度の全国高校サッカー選手権で優勝)に入学。技術レベルは高かったが、体が小さかったこともあって、評価は高くなかった。エリートではなかったのである。
しかし「将来はプロになる」と心に決めており、父親らの影響でブラジルのフットボールに憧れた。やがて、ブラジルでプロ選手になることを夢見るようになる。
1982年9月、宣雄がブラジル・サンパウロへ渡って生活を始め、カズを呼び寄せる。
当時、高校でカズを指導していた井田勝通監督からは「99%不可能だから、やめておけ」と諭された。だがカズは監督の忠告に抗い、高校をわずか8カ月で中退。1982年末、サンパウロへ渡った。
フットボールで成功できなければ、後がない――。15歳にして、人生を賭した勝負に出たのである。
所持品を盗まれ、パスは来ない。
市内の中堅クラブ、ジュベントスのU-17に加わる。並行してフットサルのチームにも入り、徹底的にテクニックを磨いた。
クラブの近くで寮生活を始めたが、最初はポルトガル語が全くわからず、悪童たちに散々からかわれた。夜、ベッドに寝ていて蚤やダニに体中を食われたり、他の寮生に所持品を盗まる、といった日本ではまずありえない苦労も味わったという。
ワールドカップ(W杯)に一度も出場したことがなく、プロリーグすらない弱小国からやってきた留学生ということで、当初はチームメイトから信用してもらえなかった。対外試合や紅白戦で全くフリーでいても、誰もパスを回してくれなかった。