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千葉ジェッツの天皇杯連覇は革命だ。
6分間で20点差がついた魔の時間も。
posted2018/01/19 07:00
text by
ミムラユウスケYusuke Mimura
photograph by
Kiichi Matsumoto
天皇杯は革命前夜を告げる鐘を鳴らしたのかもしれない。
千葉ジェッツにはポイントガード(PG)が4人いた。12人の登録選手の中に、4人もいたのだ。
そして、中心選手の欠場を糧にするポテンシャルとメンタリティを持つ選手たちがいた。戦術的な準備もできていた。
だから、想定外のハプニングにも対応できた。
天皇杯ファイナルラウンド初戦の3日前、リーグ戦で日本代表のPGでもある富樫勇樹が左太ももを負傷して、天皇杯の欠場がきまった。
昨シーズンに大野篤史がヘッドコーチ(HC)に就任してから、日本代表のW杯予選中だったケースを除くすべての公式戦で、富樫は先発してきた。ジェッツを引っ張ってきたPGの欠場が、痛手にならないはずはない。
大会前に指揮官はこう明言している。
「チャレンジャーとして戦う」
その言葉通りにチームはまとまり、天皇杯を制した。2連覇を果たしたのだ。
富樫不在以外にも、アクシデントだらけだった。
昨年の優勝が勢いを武器にした勝利ならば、今年の優勝は団結力をいかした勝利である。
彼らには、いくつものアクシデントがあった。
例えばPGの西村文男は、12月31日のアルバルク東京戦で肉離れから復帰したばかりだった。
パワーフォワード(PF)のマイケル・パーカーは、12月第3週の川崎ブレイブサンダース戦で脚を痛め、ベストには程遠い状態だった。
それでも、富樫の不在を補えるだけの戦略と戦術がジェッツにはあった。
バスケIQの高い西村は、復帰して間もないとは思えないほど安定して高いパフォーマンスを見せられた理由の1つとして、こんなことを語っている。
「試合に出ていない時期でも、見て、得るものもあります。選手の特徴であるとか。そういう意味では、僕はみんなをよく見ているつもりなんでね」
西村の小さな努力の積み重ねは、大会ベスト5に選ばれる活躍につながった。