球道雑記BACK NUMBER
ロッテ戦力外から社会人野球名門へ。
金森敬之に沁みた武田久と家族の愛。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byKyodo News
posted2017/12/18 07:30
プロ8年間で通算6勝3敗3ホールド。金森にとってトライアウトは、リスタートのきっかけとなるのだろう。
社会人野球の名門パナソニックからの誘いが。
外の空気はぐっと冷え込み、街はクリスマスのイルミネーションで煌煌と光っていた。
結局、金森のもとにNPBからの誘いは来なかった。
NPBから声がかかる場合、大半はトライアウト直後に何らかのアクションがある。それがなかった時点で、ある程度覚悟は決めていたが、トライアウト後の1カ月は今後の人生をじっくりと考え、自らの心を整理する期間を設けていた。
そんな金森にひとつの朗報が届く。
實松の言葉どおり、自分を必要としてくれる球団が見つかったのだ。
その場所とは社会人野球の名門、パナソニックだった。
「誰もが行けるわけではないんで、もし『社会人からあればな』とは思ってましたが、まさかパナソニックから話があるとは思ってなかったのでビックリしました」
パナソニックの監督は梶原康司という人物が務めている。2000年ドラフト8位で阪神に入団し、2004年の退団後に松下電器(現パナソニック)でプレー。NPB退団選手としては初の都市対抗野球10年連続出場の表彰を受けた。
その梶原と同部の北口正光部長が熱心に誘ってくれたのだ。
「来年(パナソニックは創業)100周年を迎える。都市対抗を優勝するためにどうしても必要なんだ」
その言葉が、心の底から嬉しかった。
武田が日本通運入りしたことで決意を固めた。
打診を受けてから数日間、家族とともにじっくりと考えた。
パナソニックの本拠は大阪府枚方市にある。金森にとっては16年ぶりの帰郷となるが、息子たちの転校など将来的なことを考えると、簡単には答えが出せなかった。
そんな中、武田が社会人野球・日本通運に入団するというニュースが飛び込んできた。
「お世話になった先輩でもあるし、あれだけの成績を残した方でも社会人で現役を続けるときいて本当に凄いなと思いました」
そのことも金森の背中を押した。