球道雑記BACK NUMBER
ロッテ戦力外から社会人野球名門へ。
金森敬之に沁みた武田久と家族の愛。
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph byKyodo News
posted2017/12/18 07:30
プロ8年間で通算6勝3敗3ホールド。金森にとってトライアウトは、リスタートのきっかけとなるのだろう。
「幼稚園の運動会にも初めて行けて……楽しかった」
この期間を利用して長男の野球を見に行ったり、次男の運動会に初めて顔を出したり、父親として家族と共に大切な時間を過ごす。
「(現役中は)行事が重なって毎年行けてなかった。今回、10月3日に戦力外で呼ばれて、その週の土曜日か日曜日ですかね。下の子の幼稚園の運動会にも初めて行けて……ちょっと楽しかったですね」
そう言うと嬉しそうに笑った。
家族の前では自身の過酷な状況など、おくびにも出さない。
トライアウト開催までの約1カ月間、金森は強くて優しい父親の背中を息子の前で見せてきた。その姿は今年、同じようにロッテから戦力外通告を受けた若手数名にとっても心強かった。自主トレでは、自身2度目となる戦力外通告をネタにして、時折笑いをとるなど、明るい雰囲気作りを心掛けた。
「俺の真っ直ぐが当たらんかったら、もう現役ちゃうやろ(笑)」
打撃投手を買って出たシート打撃では冗談を飛ばしながら、その場を盛り上げた。
球団スタッフも、グラウンド整備もいない。すべて自分たちでやる自主トレ。それでも悲観的になることなく、金森はメンバーの最年長として、トライアウトまでの1カ月間、リーダー役を務めた。
4年目に4勝、優勝旅行も経験したが怪我がちだった。
先にも述べたが、金森が戦力外通告を受けるのはこれが2度目だ。
1度目は2012年のシーズン終了後、度重なる故障が原因だった。
「日本ハムには計画的に育ててもらって、4年目に初めて一軍に上げてもらいました。でも節目、節目で怪我していたので……。4年目に4勝して優勝も経験した。優勝旅行にも行かせてもらったんです。ただ次の年、自主トレで怪我をしてしまって、それが3カ月くらいかかってしまった。一軍に上がったのがその年の5月なんですけど、なかなか調子が上がらず……。それの繰り返しでしたね」
光と影、その両方を経験した日本ハム時代をそう振り返った。
「トレーナーの方ともよくケンカをしましたね。ケンカって言っても『いつ治るんですか?』、『いつになったら野球やらせてくれるんですか?』というこっちの一方的な話ですけど、向こうは『焦るな』、『時間が解決してくれるから』となだめてくれたんです。今思えば、本当にお世話になっていたんです」
若気の至りを少し恥じるように語った。