フランス・フットボール通信BACK NUMBER
リベリーがロッベンを殴って大人気!?
バイエルンを支える“ロベリー”の絆。
text by
パトリック・ソウデン&アレクシス・メヌーゲPatrick Sowden et Alexis Menuge
photograph byBernard Papon
posted2017/10/22 07:00
ロッベンとリベリーの活躍により、バイエルン、オランダ代表、フランス代表などそれぞれのチームは幸せな時代を過ごせたはずだ。
リベリーがレアルに行くはずが……なぜかロッベン!?
ふたりの信頼関係は簡単に生まれたわけではない。
2009年夏、リベリーはレアル・マドリーへの移籍を望んでいた。仲介に立ったのは、当時会長に復帰したばかりのフロランティーノ・ペレスのコンサルタントを務めていたジネディーヌ・ジダンだった。交換要員としてリストアップされたのが、レアルで構想外となったスナイデル、ファンデルハールト、ロッベンらのオランダ人選手たちで、当時バイエルンの監督であったルイス・ファンハールも獲得を強く望んでいた。だが、最終的にリベリーのレアル移籍は成立せず、ロッベンだけがバイエルンに加入したのだった。
ディフェンディングチャンピオンのヴォルフスブルグと対戦した最初の試合から、ふたりの息はあっていた。
リベリーはロッベンの2得点をアシストし、それはまるで稲妻に打たれたかのような惚れ惚れする一撃だった。だが、ピッチ外では激しく火花が散った。
リベリーはロッベンのエゴを我慢できなかった。オフレコで彼は、「あいつは自分のことしか考えていない」と、幾度となく言い放った。
ロッベンとファンハールの親密さが増していくにつれて、オランダ的なユーモアを理解できないリベリーには不満が蓄積していった。
CL準決勝のハーフタイム……ついにリベリーが殴る。
ファンハールからユップ・ハインケスに監督が交代しても、ふたりの距離は埋まらなかった。
それぞれが自分のテリトリーを持ち――リベリーは左サイド、ロッベンは右サイド――そこでのプレーに専念した。
軋轢が頂点に達したのが、2012年のチャンピオンズリーグ準決勝、対レアル・マドリー戦のハーフタイムだった。
数週間前からロッベンの態度に業を煮やしていたリベリーは、ロッカールームで彼に殴りかかったのだった。クラブは事件を表に出さず内々で処理した。リベリーには重い罰金が科せられたものの、甘い処分にロッベンは大いに不満だった。