マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
中日・京田陽太は存在が“スーパー”。
痩せて見えた秋もプロ生活の第一歩。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2017/10/16 07:00
1年目の内野手がシーズンを全うした、という事実が既に快挙。京田陽太、間違いなくこれからプロ野球界を支える選手だ。
ずいぶん痩せて見えた、9月の京田。
「失投はのがすし、打ち損じも多いし、打てないコースもある。バッティングをほめてもらっても、自分としては、そんなにピンと来ないんです。強いて挙げれば、1球に対する執着力ぐらいですかね……」
バッティングの話になると、京田陽太はずいぶんと素っ気なかった。
9月中旬。古巣の神宮球場で久しぶりに見た彼は、ずいぶん痩せて見えた。
学生当時、日本大・仲村恒一監督が太鼓判を押していた京田陽太の体の強靭さ。しかし、さすがの彼も、初めてのプロ野球ペナントレースの120試合目あたり、かなり“きている”感じだった。
打球がレフト方向にしか飛ばない。
ショート、サードに力のないフライを打ち上げ、どん詰まりのショートゴロを打ち取られ、それでも、なんとか左中間へ1本持っていって、打率2割7分をキープ。そんなしぶとい“生命力”が、いかにも京田陽太らしかった。
スーパープレーよりも、1年間がスーパー。
さて、それからおよそ半月経って、ペナントレースは終盤の10月に入っていた。
同じ神宮球場。ヤクルトの先発、ルーキー・梅野雄吾(九州産業高)の140キロ後半の速球とタテのスライダーに、いったい、どうした! 京田陽太のバットがまったく“接点”を持たない。
三振、三振、三振。
それでも代えられないのだから、京田陽太も森繁和監督も、どちらも立派なものだ。
投手が代わった第4打席、ライト前に1本目を飛ばすと、9回、勝ち越し3ランのきっかけとなるショートへの内野安打が2死からだったから、さすが京田陽太……と唸ってしまった。
チームが低迷を続ける中で、遊撃手という過酷なポジションを1シーズン守り続け、惜しくも長嶋選手の偉大な記録には達しなかったものの、失策を14にとどめながら、リーグ2位タイの23盗塁を奪って、三塁打8本と将来の「スリーベースヒッター」の片鱗を見せて、ルーキーイヤーを締めくくってみせた。
大観衆をドッと沸かせるようなスーパープレーはめったに見せてくれなくても、この1年間の成績そのものが十分に“スーパー”であろう。
おつかれさま!
今は、終わった途端に「秋季練習」が始まったりするが、スポーツ選手は体が資本だ。練習はお付き合い程度にして、まずは来年、その先に備えて、体の手入れを。
京田陽太の歴史は、今、始まったばかりなのだから。