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松坂世代「その他大勢」がトップに。
和田毅、思考派左腕というプライド。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byTadashi Shirasawa
posted2017/08/12 09:00
端正な顔立ちとスタイルは早大時代から変わらない。36歳を迎えてもなお自らを研ぎ澄ますからこそ、和田はプロの一線級で戦えている。
ポール間走40本、僕が走るから後輩も……(笑)。
その原点は、大学2年生のゴールデンウィークだった。大学の春季リーグ中にもかかわらず、朝9時から夕方5時まで走りっ放しのメニューを組まれた。
「3日間、ボールを一度も触らずに走るだけ。あれが人生イチでした。メニューは覚えていますよ。両翼ポール間往復を20本2セット、片道20本が2セット、50mと30mと20mもそれぞれ20本ずつ。ダッシュ系ばかりでした」
大学4年生の頃には、ポール間走40本が当たり前になっていた。
「少しは慣れても、しんどさは変わらない。25本目から30本目あたりは決まって記憶がなかった。ただ、僕が走るから下級生もやらされていた。ああ可哀想に、と思ってました(笑)」
通算4度目の開幕投手は、本当の意味で任せられた。
和田が4年生の時、1年生でこのメニューを「やらされて」いたのが現在もトヨタ自動車でプレーする佐竹功年だった。
「たまに連絡がありますけど、彼も『ミスター社会人』ですよね。去年は都市対抗で優勝したし。最初は全然ついていけなかったけど、今の自分の糧になっていますと言ってくれた時は嬉しかったですね」
今年、プロ15年目。
3月31日、開幕戦のマウンドを6年ぶりに託され、今季初勝利を挙げた。
「開幕投手は4度目でしたが、過去はいずれも正式というよりイレギュラー的な感じでした。'05年はカズミ(斉藤和巳)さんに決まっていたのですが、肩の違和感で代役。'09年はスギ(杉内俊哉)だったと思うんですが、WBCの代表に自分が落選して、スギがそのまま選ばれたから自分に回ってきた。'11年は震災で開幕がズレて、日程の関係で僕になった。本当の意味で『任せたぞ』と言っていただいたのは初めてでした」