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松坂世代「その他大勢」がトップに。
和田毅、思考派左腕というプライド。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byTadashi Shirasawa
posted2017/08/12 09:00
端正な顔立ちとスタイルは早大時代から変わらない。36歳を迎えてもなお自らを研ぎ澄ますからこそ、和田はプロの一線級で戦えている。
「僕らの年代は大輔と渚が別格で、憧れだった」
かつては同世代の「その他大勢」の1人に過ぎなかった。
日本中が熱狂した'98年夏の甲子園。島根・浜田のエースとして全国ベスト8まで勝ち進んでいる。松坂大輔と直接投げ合うことはなかったが、あの伝説的大会で名を残した。
「いや、僕なんて全然です。僕らの年代は大輔と(新垣)渚が別格というか、ただの憧れの存在でした。150km投げるピッチャーなんてあの頃はいなかったじゃないですか。140ちょっと出たらプロ級と騒がれたのが、一気に150kmですからね。彼らのような人たちがプロに行くんだなと、ただ眺めるだけでした」
松坂は雲の上の存在であり、自身も将来のプロ入りなど想像すらしていなかった。
僕は今でも走ることが一番大切だと思っています。
しかし、早稲田大学に入学してわずか数カ月でまるで別人のように変貌を果たす。
「急にスピードが上がった。常時125km前後だったのが、140kmを投げられるようになったんです」
自らフォームを壊して、一から作りなおしたのが奏功した。参考にしたのは松坂だった。利き腕は違ったが、鏡で反転させた自分と見比べるのにはちょうど良かった。
「ヒントになったのはグラブ側の手の使い方でした。軸足でためてから体重移動する際にぐっと引く。前に出る体を、グラブ側の腕で止めるんです」
カベを作り、そこに思い切って体重をぶつけに行く。強い回転が生まれたのだ。
「あとは下半身を使って投げること。大学時代はそればかり考えていました」
だから和田は走った。とことん、走った。
「僕が変わらずにいられるのは若い時から走ることを大事にしてきたから。現在ではただ走るよりもトレーニングコーチが組むメニューやウエイトトレーニングなどを重視する考え方もあるみたいですが、僕は今でも走ることが一番大切だと思っています。だから年齢を重ねてもやれている。当然、もう若い時ほど走れないけど、それでも今だって若い選手に負けない自信はありますよ。今の若手の練習量は甘いです。僕の方が彼らよりもはるかにシンドイことをやってきましたから」