フランス・フットボール通信BACK NUMBER
9000枚のユニフォームを集めた男。
欧州サッカー界の名物会長を悼む。
text by
ジャンマリー・ラノエJean-Marie Lanoe
photograph byPatrick Gherdoussi/L'Equipe
posted2017/07/19 11:00
その広大なミュージアムでコレクションを見て回るのに、ニコラ会長は電動カートを使っていた。
ひと財産にもなりそうな高額な品もあるが……。
ペレのユニフォームのエピソードは、希少性を示すもうひとつのエピソードにつながっている。
「ある詐欺師が、'70年ワールドカップでペレが着たユニフォームを7万ドルで売りたいと持ちかけてきた。それで当時の『レキップ』紙をインターネットで検索し、チリの国立図書館にも問い合わせたが、写真を見ると当時のブラジル代表のユニフォームにはやはり星は縫いつけられてはいない。3つの星が描かれるのは、3度目の優勝を果たした後の'71年1月からなんだ」
ニコランのもとには、ほとんど毎朝のようにユニフォームが届けられた。その梱包を破って、骨董品を愛でるように中身を確かめるのが彼の楽しみだった。最も有力な入手元はイギリスに無数に存在する専門の業者たちであり、『ドゥルオー』をはじめとする各種のオークションであった。
「ここにあるすべてを掲載したリストを作った。それを元に、珍しいものを求めてしばしば海外にも出かける。ときにひと財産に相当するような貴重品もあるが、そうしたものには注意が必要だ。権威ある証明書つきでないと、偽物を掴まされかねないからな。最近手に入れたのは、オマール・シボリとサンドロ・マッツォーラのものだ。レフ・ヤシンも競売にかけられていた。ある大会の決勝で彼が着たものが、『クリスティー』で13万ドルで売られていたんだよ」
プラティニから贈られた、数多くの貴重な品。
ニコランが最も喜んだのは、友人たちから贈られる予期せぬ贈り物であった。
ガラスケースの中には、毎年のチャンピオンズリーグ決勝で使われたボールが飾られている。前UEFA会長で、気の置けない友人でもあるミシェル・プラティニの便宜により手に入れたものである。アルフレッド・ディステファノの白いユニフォームも同様である。
「あまり綺麗じゃないだろう。これは彼がバロンドールを受賞した年のもので、『フランス・フットボール』誌の編集長だったマックス・ウルビニがくれたんだ。彼のような偉大なジャーナリストは、今の時代にはもういない」
どうしても欲しかったのが黒クモの異名を持つヤシンのユニフォームであった。