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9000枚のユニフォームを集めた男。
欧州サッカー界の名物会長を悼む。
text by
ジャンマリー・ラノエJean-Marie Lanoe
photograph byPatrick Gherdoussi/L'Equipe
posted2017/07/19 11:00
その広大なミュージアムでコレクションを見て回るのに、ニコラ会長は電動カートを使っていた。
「黄色いユニフォーム」をヤシンは着たのか?
「長い間探し求めて、ようやく手に入れた。あらゆる手段を使ってね。イギリスのあるオークションで無理やり落札したんだ。黒いユニフォームがトレードマークであったのに、驚くことにそれは黄色だった。しかも当時は、1年を通して同じユニフォームを着続けるのが普通だった。その意味でもとても貴重だ」
それは史上最高のゴールキーパーといわれるヤシンが、'63年10月23日におこなわれたイングランド対世界選抜戦(FA創設100周年記念試合)で着用したもので、たしかにニコランの語る通り唯一無二の貴重なものであった。
貴重なユニフォームから浮かび上がる、驚くべき史実。
彼のミュージアムには、こうした驚きに満ち溢れている。
そこには'78年アルゼンチンワールドカップで、プラティニとフランソワ・ブラッチ、マルク・ベルドルが着用した緑と白の縦じまユニフォームもある。マルデルプラタでのハンガリー戦に臨んだフランス代表が、ハンガリーと同じ白いユニフォームを間違えて持参したために、急きょ地元のクラブ・アトレチコ・キンベルレイから借りて間に合わせたのであった。
サンティエンヌの名物会長であったロジェ・ロシェにも触れておこう。
マネキンが纏っているのはマフィアを彷彿させる縦じまストライプのスーツで、パイプとともにロシェのトレードマークであった。1976年5月12日、グラスゴー・ハンプテンパークでのバイエルン・ミュンヘンとのチャンピオンズカップ決勝で、まさにロシェが着ていた実物のスーツである。ここは“レ・ヴェール(サンティエンヌの愛称)”のミュージアムではない。だが、ロシェのスーツが何故かここにある。
「それは本人が私にくれたからさ。実は彼の息子のジェラールととても仲がよくて、同じ学校(リヨンのクール・パスカル)に通っていたし一緒にサッカーもプレーしていたんだ」