フランス・フットボール通信BACK NUMBER
9000枚のユニフォームを集めた男。
欧州サッカー界の名物会長を悼む。
posted2017/07/19 11:00
text by
ジャンマリー・ラノエJean-Marie Lanoe
photograph by
Patrick Gherdoussi/L'Equipe
7月4日発売の『フランス・フットボール』誌では、6月29日に心臓マヒにより74歳で亡くなったモンペリエのルイ・ニコラン会長を大きく取り上げている。
フランス国内では誰もが知っている。ヨーロッパでも非常に有名。だが日本ではほとんど知られていない……という人物がいる。フランスでは、ギィ・ルーとルイ・ニコランがその典型だろう。
1961年、23歳の若さで当時3部リーグに所属のオセールの選手兼監督に就任したギィ・ルーは、2005年に引退するまで44年間('00年に一度退任し'01年に復帰)同クラブの監督を務め、'95~'96年シーズンには1部リーグ優勝にまで導いた名伯楽である。
一方のルイ・ニコランも、ゴミの回収業により一代で財を成し(今日、ニコラングループは従業員5000人を抱え、総収入は年間3億ユーロにも達する)、街角の1クラブに過ぎなかったモンペリエ・エロー(74年の会長就任当時は「モンペリエ・パイヤード・スポーツクラブ」)を、2012年にはリーグ1を制覇するまで成長させた立志伝中の人物である。
1部と2部を往復するエレベータークラブでしかなかったときからモンペリエは、ロジェ・ミラやカルロス・バルデラマ、エリック・カントナ、ローラン・ブラン、エメ・ジャケといった選手や監督を獲得し異彩を放っていた。また、'03~'04年シーズンは広山望、'10~'16年は宇津木瑠美、'11~'12年は鮫島彩が在籍するなど、実は日本とも関係が深い。
かくいう筆者(田村)も食事に招かれたり、'98年フランスワールドカップ直前には所有する牧場内の闘牛場でおこなわれた闘牛に、他のジャーナリストたちとともに招待されたこともある。
他方でニコランは、世界的なユニフォームのコレクターとしても知られていた。
ニコランが傾けたサッカーへのもうひとつの情熱を、彼をよく知るジャンマリー・ラノエ記者がレポートする。
監修:田村修一
世界的にも稀なユニフォームの巨大ミュージアム。
今年2月、ルイ・ニコランはおよそ5000枚のユニフォームを収蔵する自らのミュージアムに『フランス・フットボール』誌を招待した。そのコレクションには、世界的な貴重品も多く含まれるのだった。
彼が思い起こすのは……懐かしいジョルジュ・ブリッケ(1930~50年代にかけて活躍したジャーナリストで、スポーツ番組のラジオ・レポーターでもあった)の鼻にかかった声だが、それを聴いたのはそう遠い昔ではない。はじまりは27年前、きっかけは偶然に過ぎなかった。
「1990年6月2日、フランスカップに優勝したディフェンダーのフランク・ルケージが、ユニフォームを会長である私に贈呈したんだ!」
その日、恐らくヨーロッパでも類を見ないミュージアムでルイ・ニコランは、縦横無尽に走り回る電動カートを、かつて自らのクラブの選手が着ていたユニフォームの下で止めたのだった。
そのユニフォームは、白地に青の縁取りがあり胸には「RTL」(当時の胸スポンサーであるメディア企業)の文字が描かれていた。