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唯一の10位指名、ドラフト最後の男。
西口直人に期待する“甲賀”の恩師。 

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安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2016/11/06 11:00

唯一の10位指名、ドラフト最後の男。西口直人に期待する“甲賀”の恩師。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

指名を受けてのコメントでは「真っ直ぐで押せる投手になりたい。楽天の則本昂大投手のような投手に」と語った西口。

15年も前の選手の名前が、スラスラと出てくる。

 おそらく当時、この国のどこにもなかったはずの野球専門学校に、私の野球的好奇心がいたく刺激されて、甲賀の里へ足を運んだものだった。

「キャプテンでキャッチャーだった今田に末吉、大瀧に、えーと……あとは島田ですよね、サードの。座談会みたいにして、何人も話聞いてもらってね」

 15年も前の選手たちの名前が、藤本監督の口からスラスラと出てくる。

「島田、多めでお願いします!」

 甲賀での日々を語り合う座談会が終わって、部屋を出て行く部員たちの最後の1人が、急に振り返って叫んだ渾身のひと言が、今でもはっきりとこの耳に残っている。

 三塁手・島田昌憲、福岡工大城東高出身。甲賀を卒業して、社会人・光シーガルズ(元・新日鉄光)に進み、今も元気者の野球小僧のままでいるのだろうか。

建山から2年で藤本、8年で宮田、西口までまた8年。

「建山から2年ですぐ藤本敦士(内野手・元阪神)がプロへ行って、そこから宮田まで8年かかりましたね。それで今年の西口まで、まーた8年かかりましたから」

 西口直人がドラフト指名されるおよそ20日前、藤本監督が3人目にプロに送り出した宮田和希が、投手として8年つとめた西武から戦力外通告を受けていた。

 2008年のドラフト6位。左腕から、なんともいえないクセのある球質の速球と激しい動きのスライダーを投ずるサウスポーだった。

 8年間のほとんどがイースタンでの登板だったが、それでも一軍でも中継ぎで35試合、およそ40イニング投げた8年間のプロ野球生活だ。

「なんともねぇ……皮肉な運命というのか、なんというのか」

 ほんとは、お互い、触りたくない部分だった。

「しょうがないんですけどねぇ、競争社会ですから、プロは」

 そういいながら、本当にしょうがないとは思いきれない心境が、その口ぶりにあふれている。

「宮田だって、いいもの持ってたんですよ。バッターの手元で伸びたり、スッと動いたりするストレートあって。あんなに打ちにくいピッチャー、いないですよ」

 心は、送り出した8年前に飛んでいる。

「自分のカラに閉じこもってるとこ、なかったかなぁ……。あんまり社交的じゃないんでねぇ、大阪の人間のわりに、宮田は。先輩に誘われたら、たまにはついて行って、プロで生きていくコツとかね、それとなく教えてもらって。そういうところが足りなかったのかなぁ、今、考えると」

【次ページ】 西口には「考える心があるかどうか」とうるさく言う。

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