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黒田博樹が“花道”に選んだ、
「大谷翔平」という比類なき才能。
posted2016/11/04 12:20
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Hideki Sugiyama
馴染みの顔が妙にかしこまっている。
「結婚式でもあるのか?」
そんな冷やかしに照れ笑いが返ってくる。これ、これ、この空気だよな。そんな実感が自分の足取りも、しゃっきりとさせる。編集部から日本シリーズの取材に行かせてもらった。新聞記者時代から、かれこれ7度目だが、何度きても、ここは特別だ。
ヨレヨレのシャツがトレード・マークのあいつが、首元にネクタイをぶら下げている。
「俺はいつも変わらないよ」
そう、気取っている奴だって、心は“正装”して、担当チームの勝利を祈っている。そんな舞台なのだ。そして、今年のシリーズ、誰よりも着飾り、ビシッと決めて、主役となる権利のある男がいた。
黒田博樹。
最後まで“別れの儀式”を拒み続けた黒田。
広島が誇る世界のエースは、シリーズ前に現役引退を表明した。ところが、黒田はネクタイどころか、いつものように泥だらけの「戦闘服」のまま、戦いに臨んだ。
「特別なことはないです。いつも最後だと思って、やってきましたから」
報道陣がどんなに、シリーズを“別れの儀式”として飾ろうとしても、それを拒んだ。
忘れられないのは第3戦、札幌ドームで先発したゲームだ。6回2死まで、投げ終えたところで、ベンチに異変を訴え、ダグアウトへ下がった。右足のふくらはぎがつっていた。数分の治療の後、戻ってきた黒田はわずかな可能性を探るように、ピッチング練習を3球したところで、悟った。
「無理だな……」
自ら降板した。この時、近くにいた一塁手・新井貴浩は、黒田の足がガクガクと震えていたのを見たという。
限界まで戦った男の姿だった。
そして、神様の無慈悲か、ここから広島は逆転負けを喫し、以降、1度も勝利を得られないままシリーズを終えたのだ。